ベテランカメラマンも見抜けない 小柳ルミ子 36歳の素顔は給食センターのオバサンだった
「わたしの城下町」

レストランの入り口でお迎えしたが、小柳は来ない

かれこれ30年ほど前、女性週刊誌記者のXさんと食事をしているとき、どちらからともなく女優・浅野ゆう子(62)の話になった。すっぴんとメイク後の顔の美しさに違いがあるという話だ。

当時、浅野はすっぴんだと10歳くらい老けて見える。本人もそれを意識したのか一時はかなりの厚塗りをしていた。それがマネージャーの意見を受け入れてナチュラル風メイクに変えたおかげで美しさが蘇った。こんな話が芸能メディアの記事になっていた。

Xさんとの会話で、先日本ブログで紹介した岡本夏生の話になった。筆者が自分の目で見た岡本のすっぴん顔の破壊的な迫力についてだ。

話が一巡したころでXさんがぽつんと言った。
「そういえば俺も同じような体験をしたことがあるよ。ある女優と取材で待ち合わせをしているときだ」
この話が面白いかったので、筆者は今もはっきりと覚えている。

1988年のこと。Xさんは女性誌でグラビアを担当していた。芸能人に話を聞く「私のお気に入りの店」という企画を任され、人気女優の小柳ルミ子(70)に取材を申し込んだ。小柳のマネージャーは快諾し、小柳が通っている東京・渋谷区のレストランを指定してきた。

取材当日、Xさんはカメラマンとともに早めに店に到着。カメラマンは店内のテラス席で照明のセッティングを始め、Xさんは店の入口で小柳の到着を待っていた。入口で立っているため入ってくる客に従業員と間違われたりしたという。

カメラマンのセッティングが終わり、あとは小柳を待つばかりとなった。ところがなかなか到着しない。Xさんは「もしや日にちを間違えたのでは?」と心配になり、小柳の所属事務所に電話した。当時は携帯がないので固定電話にである。
「えっ、まだ着いていませんか? おかしいなぁ、時間に間に合うよう出かけたんですが」
とマネージャー氏。

「そこにいるじゃないですか」とマネージャー

Xさんはさらに待った。カメラマンも店内で待った。だが小柳ルミ子は来ない。

しばらくして現場にマネージャーが到着した。Xさんが「小柳さんはまだいらしてません」と言うと、マネージャーは「変だなぁ」と店内を見まわし、
「あれ、そこにいるじゃないですか」
と指さした。

そこには中年の女性が座っていた。座って紅茶を飲んでいた。

だがその顔は小柳ルミ子ではなかった。顔に化粧をしていない普通のオバサンだった。

Xさんの証言。
「マネージャーに『そこにいる』と言われて気づいた。俺を従業員と勘違いして『いまは営業中ですか?』と聞いた女性がいた。それが彼女だった。つまり入口で言葉を交わしたけど、本人だと全然気づかなかったわけだ。その後も中年の女性が座っているなぁと意識はしていたけど、それが小柳本人とは考えも及ばなかったよ」

すっぴんの小柳ルミ子はメリハリのない眠そうな目をし、人気女優の片鱗もない。まるで給食センターのオバサンみたいだった。周囲の一般客は誰も小柳だと気づいてなかった。ただ、洋服はさすがにゴージャスなブランド品だった。

何はともあれ、小柳と落ち合うことができた。小柳は、
「化粧をしてきます」
と言って手洗いに行った。

20分後、戻ってきた。
「俺とカメラマンは驚いて顔を見合わせた。化粧をしたら、あの小柳ルミ子になっていたんだから。見事に復元したわけだ」(Xさん)

それにしてもだ。Xさんに同行したカメラマンのQさんは芸能取材歴ウン十年のベテランだ。筆者もこれまで数多くのカメラマンと仕事をしたが、彼らの多くは人の顔を見間違えない。「一度ファインダーで覗いた顔は忘れない。それがカメランというものだ」という声を何度も聞いた。

これまで何百、何千人もの芸能人を撮影してきたQさんですら素顔の小柳ルミ子に気づかなかったという話に筆者は絶句した。もし小柳が戦国時代の女忍者(くノ一)に生まれたら、さぞや活躍しただろう。

撮影を終え、話を聞くことができて小柳の取材は終了。「ありがとうございました」とお互いに挨拶をして気持ちよく別れた。

「名タレントに気づかなかったとは何事」と怒られた

さて今回、本稿を書くにあたり、改めてXさんに電話して話を聞いた。Xさんは、
「地味な顔をしたオバサンが小柳ルミ子に変身した。驚天動地のショックだった」
と笑いつつ、こんな後日談を明かしてくれた。

「取材の翌日、掲載予定日などを伝えるためマネージャーに電話したら、叱責を受けた。『小柳は有名タレントなのに、気づかないで放置するのは失礼だ』との言い分だった。こちらは『すみません』と謝ったけど、内心『すっぴんで来るのが悪い』と言いたかったよ」

同業者をかばうつもりはないけど、ここはXさんに理があると筆者は思う。給食センターのオバサンが小柳ルミ子だとは誰も良そうだにしないだろう。「気づかなかったのが悪い」と責めるのは酷というものだ。

小柳ルミ子は1952年7月生まれ、宝塚音楽学校卒。この取材を行った88年は36歳だった。翌89年、小柳は13歳年下の大澄賢也と結婚し、2000年に離婚。大澄に逃げられた小柳は、悔しまぎれに「慰謝料1億円よこせ」と発言したりした。

小柳は19歳だった71年に「わたしの城下町」で華々しくデビューし、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。その後「瀬戸の花嫁」などをヒットさせた。当時中学生だった筆者の同級生などは九州の辺境の村で「小柳ルミ子と結婚した~い」と儚い願望を語っていたものだ。

彼が芸能記者にならなくて本当によかった。顔面の真相を知ったら、うつ病になっていただろう。人間には知っていいことと、知らなくていいことがあるのだ。

小柳ルミ子はデビュー当時から化粧美人だったのか、それとも17年間で著しく劣化したのか。いずれにしてもXさんの体験談を聞いて、女性のメイクが持つ改造パワーの恐ろしさを思い知ったのだった。あ~、くわばらくわばら。

余計なことだけど、賢也君は小柳ルミ子のどんな顔を見ていたのだろうか。

おすすめの記事