11年前の「笹子トンネル事故」 病欠の青年が乗っていたら5人が生還できた大胆仮説

崩落138㍍で温泉帰りの若者が犠牲に

先日、本ブログに1985年夏の日本航空123便墜落事故について書いた。筆者の勤務先の会社から取材撮影を依頼されたカメラマンの命が助かり、幼い兄妹が犠牲になったという実話だ。

人間の幸不幸は何で決まるか分からない。そんなことを考えていたら、その記事を読んだX氏から、
「知り合いから同じような偶然の話を聞いたことがある」
との連絡をもらった。

偶然の話とは2012年12月2日に起きた笹子トンネル事故のこと。同日午前8時ごろトンネル内の天井からコンクリート板が138㍍に渡って崩落し、走行中のクルマが下敷きになって9人が死亡した。「笹子トンネル天井板落下事故」などと呼ばれる。

9人のうち5人は東京都内のシェアハウスに住む若い男女で、ワゴン車の中から焼死体で発見された。温泉旅行の帰り道での遭難だった。

X氏は「あくまでも伝聞だけど」と前書きし、
「私の仕事の知り合いによると、彼の友人の息子さんがそのシェアハウスに住んでいて、例のワゴン車に乗る予定だったそうだ」
と言う。

都市伝説の伝承のように人が何人も介在しているので事実かどうか分からないが、彼は次のように語った。

X氏の知り合いの友人に息子さんがいて、事故にあった青年たちのシェアハウスで共同生活をしていた。居住者は同世代の人ばかりだったため仲が良く、ワゴン車で温泉に出かけることになった。その息子さんも同行する予定だった。

ところが当日、息子さんは体調を崩し、「一緒に行けない」と不参加を決めた。彼を除く一行は出かけ、事故にあってしまった。つまり息子さんは体調不良によって命が助かったというのだ。

筆者の父は虫の知らせで命拾いした

この話を聞いて、筆者は自分の父にまつわる実話を思い出した。約50年前、筆者が高校生のころ、父が青い顔をして帰宅し、
「今日は命拾いをした」
と言ったことがある。

事情を聞いたら、父が乗りそうになったクルマが事故を起こして2人が死亡したという。以下のような話だった。

筆者の父は九州のある県に勤める土木関係の地方公務員で、仕事の一環として定期的に県庁に出向いていた。そのときも父を含めて3人が県庁に行くことになった。距離は約90㌔である。
当日の朝、父は同僚のAさんから、
「事務所のクルマで一緒に行きませんか」
と誘われた。

だが、父は彼の申し出を断って、自分のクルマで行くことにした。そのためAさんは後輩職員のBさんを「乗っていかないか?」と誘い、Bさんは同乗することにした。
こうして自分のクルマに乗った父と、事務所のクルマに乗ったAさんBさんの2組に分かれた。分乗したわけだ。

2時間ほどの運転で父は県庁に到着した。だがAさんとBさんが到着しない。しばらくして県庁で待つ父に知らせが届いた。

「Aさんが運転するクルマがトラックと正面衝突して、Bさんともども死亡した」
Aさんが運転し、Bさんは助手席に座っていた。そのクルマがトラックにぶつかった。原因はAさんの無理な追い越しで、2人はほとんど即死状態だったという。

「命拾いをした……」
父は何度もつぶやき、
「一緒に乗って行かないかと誘われたとき、『待てよ』と虫の知らせがした。だから断った」
と言った。

何か良くないことが起きるような予感がしたというのだ。しかし神でもない父に予知能力があるはずがない。筆者はあれこれと父に質問した。その結果、虫の知らせの正体が判明した。

父は以前、Aさんが運転するクルマに乗ったことがあり、彼の運転が荒っぽいのを目の当たりにしたという。

「すごいスピード狂で、助手席に乗っていて怖い思いをした。誘われたとき、ほんの一瞬だけどその記憶が蘇った。それもあって断った……」
虫の知らせは事実に裏打ちされた不安感だったわけだ。こうして父は命が助かった。

本当は若者も同僚も死なずに済んだ「バタフライ・エフェクト」

この話を当時、東京の大学に通っていた従兄に話した。「うちの親父は虫の知らせで命が助かったんや。すごい話やろ」と自慢すると、彼は「そうだね」と応じたあと、少し間をあけてこう言った。

「でもキミの親父さんがクルマに乗っていたら事故が起きなかったかもしれない」
「えっ、何で?」
「親父さんは慎重な性格だ。一緒に乗っていたら、スピードを落とせとか、無理な運転はするなと注意したはずだ。ということは事故が起きなかったとも考えられるじゃないか」
なるほど、そういう考え方もある。というか一理ある。

父はAさんより年上だから注意しただろう。一方、巻き添えになったBさんは後輩だから何も言えなかった。だから事故が起きたのかもしれない。2人とも死亡したため車中の様子がどうだったかは分からないが。

ただ、この従兄の仮説が正しければ、クルマに同乗しなかったわが父は結果的にAさん、Bさんを見捨ててピンチから逃れたことになる。少し複雑な思いだ。

その複雑な思いを笹子トンネル事故に向けて考えてみた。キーマンは例の息子さんだ。

仮説として息子さんがドライブに参加したと考えてみよう。彼がいることでドライブの時間経過が微妙に変化した可能性は大いにある。

崩落が起きた区間は138㍍。時速60㌔で走行したとしたら、約9秒で通過できる。まさに一瞬。この9秒間の崩落現場での走行を回避すればよかったことになる。

たとえば息子さんが食後トイレに行き、出発が1分遅れたとする。当然ながらトンネルに達する時刻は1分遅くなり、その結果、崩落コンクリート板の直撃を避けることができたかもしれない。一種の「バタフライ・エフェクト」とも言える因果関係だ。

トイレに行かなくても、団体行動とは人数が1人でも多くなれば行動が遅れたり、逆に早まったりするものだ。そのことで事故を回避できた可能性は否定できない。あのとき一行の中に息子さんがいたら、全員が助かったのか……。

要するに運命とはちょっとした偶然で成り立っているともいえる。そう考えるとなんだか背筋がゾクンとしてくるのだ。

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