タレントを自分だけのものにしたがる「囲い込み願望」
1986年4月に起きた岡田有希子の自殺について、前回は峰岸徹と「禁じられたマリコ」の因果関係について触れた。もうひとつ気になっていることがある。有希子のマネージャーを務めた溝口伸郎氏の存在だ。
有希子が死去して1年もしたころだったか、所属事務所のサンミュージックに行った際に社員のXさんから「今度、溝口が酒井法子のマネージャーをすることになりました」と告げられた。酒井法子が1987年2月に「男のコになりたい」で歌手デビューする少し前のことだ。
筆者は妙な違和感を覚えた。というのも自分にとって、溝口氏が苦手なタイプだったからだ。溝口氏は口数が多いほうではなく、どこかプライドが高い印象。気の弱い筆者にとってとっつきにくいキャラだった。
「溝口は有希子が亡くなってショックを受けたけど、そろそろ現場復帰したいというので酒井を担当することになりました」とのXさんの説明に、「大丈夫か?」と思った。苦手なタイプであるほかに、彼にどこか危うさを感じていたからだ。
その感覚を解きほぐすように、Xさんはこう言った。
「溝口はタレントを囲い込みたがる性質ですからね。大丈夫かな?」
彼も大丈夫かと心配しているのだ。言いながら、Xさんは両腕で人をハグするような恰好を取った。その言葉に筆者は胸にあったモヤモヤの意味が分かった。
「囲い込む」というのはべつにわいせつな意味ではない。担当したタレントを自分だけのものにしたがるという意味だ。
芸能界にはそうした独占型のマネージャーが存在する。自分とタレントの間に他人を割り込ませない。自分だけがタレントと信頼関係を築いている。そんな状況に安心する。逆に言うと、独占しないと安心できないような人だ。そこには「囲い込み願望」が存在する。
すでに本ブログで書いたように、有希子はうつ状態をきたすとわれわれ取材者を無視して溝口氏だけとコミュニケーションを取っていた。あれこそが囲い込みの効果だろう。溝口氏は自分だけが有希子と通信できることに満足していたと思えるのだ。
筆者もXさんも「酒井法子も溝口氏の専有物になるのではないか。そうなったら酒井の天真爛漫な魅力が削がれてしまうかもしれない」と心配した。
ただその後、酒井法子は順調にヒットを飛ばした。のりピーの愛称で呼ばれ、「マンモスラッキー」などの造語で話題になり、人気アイドルに昇格。紅白歌合戦にも出場し、歌手として中国進出も果たした。
93年には脚本家・野島伸司との交際が発覚。記者会見を開いて熱愛を認め、野島のことを「とても誠実な人です」と語った。「大丈夫か?」は杞憂にすぎなかった。
会社のトイレでの首吊りは恨みの表現か?
ところが2000年7月、またもサンミュージックを不幸が襲った。溝口氏が事務所のトイレで首つり自殺を遂げたのだ。ベルトで首を吊り、ぐったりしているところを社員が発見。救急隊が駆けつけたが、すでに死亡していた。サンミュージックのビルでタレントが飛び降り、そのマネージャーが首を吊ったことになる。
溝口氏が自ら命を絶った理由についてはさまざまな情報が流れたが、タレントではないためいつしか報道は立ち消えになった。当時の筆者は芸能班の記者ではないので、「よく分からないけど、岡田有希子と同じようなメンタリティーだったのかな」くらいに考えていた。
ただ気になることがあった。人が自殺する場合、2つのパターンに分れる。自己責任のときは山奥でひっそりと死に、恨みを抱いているときは人目につくところで派手に死ぬ。会社のトイレでの自殺は後者。自分の死を誰かに見せつけて死にたかったのではないか。
その疑問を解消してくれたのがXさんで、意外な話を聞かせてくれた。溝口氏の自殺の原因は借金であり、その借金は酒井に関係しているという。
彼はこう話してくれた。
「溝口は酒井のマネジメントに専念するあまり、酒井にとって有力なブレーンの人物との麻雀にのめり込んだのです。言うなれば接待麻雀。だから負けが込む。そのため借金をする。しまいには消費者金融にも手を出していたらしい。にっちもさっちも行かなくなり、会社に救済を求めたが断られた。だから首を吊った。会社に裏切られたという恨みめいた思いがあったはずです」
酒井を自分のものにするために借金苦に
筆者もX氏も「また同じことが起きたね」と感想を述べた。酒井法子を自分だけのものにするために彼女のブレーンに取り入ろうとした。そのために麻雀で接待し、結果的に借金苦に追い込まれた。これも囲い込みの一種だろう。
筆者とXさんは①岡田有希子は溝口氏の囲い込みによって生来の孤立する性格を強めてしまったのではないか②その囲い込みの一環として溝口氏は酒井の関係者に麻雀で負け、自分を追い詰めてしまったのではないかという意見の一致をみた。
溝口氏が命がけで取り入ろうとした野島伸司は酒井と破局。酒井は失意のうちに高相祐一と結婚した。その結末が溝口氏の死から9年後の09年8月に起きた覚せい剤取締法違反(所持)による逮捕劇だったことは説明の必要もないだろう。
酒井に逮捕状が出るや相澤正久社長は会見を開き、失踪した酒井に「一刻も早く出てきてください」と呼びかけた。彼は岡田有希子と溝口氏の苦い実体験から酒井の自殺を危惧していた。3人目の犠牲者が出ることを恐れたのだ。
同年8月8日、酒井は警視庁富坂分庁舎に出頭し、最悪の事態は免れた。だが逮捕は免れず、懲役1年6カ月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。
岡田、溝口、酒井と悲劇の連鎖が起きたことになる。その根底には溝口氏の「囲い込み」があったと思えるのだ。
ちなみに本稿に掲出した酒井法子保釈時の写真は筆者が撮影したもの。当日は海外メディアも詰めかけ、取材ヘリが空に舞うなど騒然としていた。