ガムテープ、ロープで誘拐しようとした?
筆者は人生の一時期、芸能記者をしたことがある。最初はアイドル取材が中心だったが、やがてスキャンダルも担当するようになった。そうした中で不思議な事件に直面することがたびたびあった。そのひとつが山口智子襲撃事件だ。
事件が起きたのは1992年1月22日。女優・山口智子(当時27)が済む東京・港区のマンションのインターホンを押す男たちがいた。彼らは「〇〇プロダクションからのお届け物です」と言う。山口がドアを開いた瞬間、宅配便の作業服を着た男2人が乱入、悲鳴を上げる山口を羽交い絞めしようとした。このとき部屋の中にいた男性が玄関に躍り出たおかげで暴漢たちは退散。事なきを得た。
事件が発覚したのは2月4日だった。事件後、山口が麻布警察署に被害届を出したため、サツ回り記者から芸能メディアに情報が流れ、「どうやら男性が室内にいたようだ」となり、芸能リポーターらが山口を直撃した。
山口は当初「一緒にいたのはマネージャーさん」と説明していたが、管理人の証言によって、山口と同じ事務所に所属する唐沢寿明(同28)と判明。翌5日、山口は再び取材陣に囲まれたが、「申し訳ありません」と言うばかりだった。
6日になって事態は大きく展開した。唐沢が会見して「いい友人です」と説明したのだ。つまり熱愛発覚。88年のNHK朝の連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」での共演がきっかけで仲が深まったという。その後、2人の仲は公然たるものとなり、95年12月に入籍したのはご存知のとおりだ。
要するに人気女優のマンションに暴漢が押し入り、たまたまそこにいた恋人が彼女を救った。これによって2人のラブラブな関係が世間にバレたという一種のロマンス話である。
だがこの事件には奇妙な小道具が登場した。今では誰も覚えていないだろうが、2人の暴漢たちは段ガムテープとロープなどを持参し、その場に置いて逃げ出したというのだ。
そのため「暴漢どもは山口を縛って口をガムテでふさぎ、ロープで縛って連れ去ろうしたのではないか。これは猟奇的な事件だ」との指摘もあった。そうした事件性が熱愛発覚で吹っ飛んでしまったのだ。
事件から1カ月ほどして、筆者は女性誌の記者からこう言われた。
「あの事件は変だね。犯人は捕まらないし、暴漢が建物に入っていくところも、逃げていくところも、誰も見ていないのだから。もちろん管理人も見ていない。そのため本当に暴漢に襲われたのか、そもそも暴漢が存在したのかという疑問の声も上がっているよ。おまけに……」
「おまけに何ですか?」
「山口と唐沢は同じ事務所の所属。あの事件のあと山口は例のマンションから引っ越しした。その際、自分のマネージャーに『どこに引っ越したか唐沢君には言わないで』と釘をさしたそうだ」
「変ですね……」
「だろう。暴漢が入ったとき、2人が別れ話をしていたという話もある」
「へ~ッ」
「あくまでも推測だが、こんな仮説を考えた」と彼は想像をたくましくした。
「事件の当日、山口は唐沢と別れを決意していて、彼がたびたび訪れた自室を出ていこうとしていた。そこに唐沢が訪ねてきた。2人は言い合いとなり、山口が激高して警察に電話した……」
「何のために?」
「部屋に男が居座っているとでも言ったんじゃないかな」
「じゃあ、あの段ボール箱とガムテ、ロープは山口が引っ越しするため?」
「うん。だけど警察が出動して山口は我に返り、事務所のスタッフと協議して暴漢が侵入したというストーリーにした。麻布署もこの話に協力したんじゃないかなぁ」
筆者は頭がボーッとしてきた。いくら「ウソで固めた芸能界」とはいえ、そこまでするだろうか。与太話にも限度があるというものだ。
なぜ山口本人が110番通報したのか?
ただ、事件発覚直後にある芸能リポーターから聞いた一言が蘇った。
「事件の際、110番したのは山口だった。ずいぶん気丈だね」
彼は苦笑いしていたが、筆者はどこかしっくりこなかった。何やら違和感が胸に残っていたのだ。その違和感の曇りが女性誌記者の話で少し晴れてきた。
山口は2人の暴漢に拉致されそうになったのだ。27歳の女性は驚愕と恐怖で動転していただろう。そうした緊迫した事態では女性は恐怖で硬直して涙を流し、男が警察に電話するはずだ。芸能リポーターが「ずいぶん気丈だね」と言ったとき、山口が冷静に電話できるだろうかという疑問を覚えていた。
これが違和感だったのだが、この女性誌記者の言うように最初から暴漢が存在せず、「山口が激高して警察に電話した」と考えれば話はスッキリする。事件のあと2人は仲直りしたのだろう。
真相はともかく、山口と唐沢は今も芸能界が誇るおしどり夫婦だ。今年で熱愛発覚から30年、結婚して27年になる。
念のため言うと、例の暴漢はいまだに捕まっていない。