若手役者にキスをし肉体を弄ぶ
「有名人の自殺は未遂のほうがいい」――。芸能マスコミには昔からこうした考え方がある。死亡してしまえば「死人に口なし」でそれまでだが、生きていれば当人の釈明のほか、その後の人生をめぐって報道が活発化するからだ。1989年に自殺未遂騒動を起こした中森明菜(57)の三十数年の歩みを見れば理解してもらえると思う。
いま注目を浴びている市川猿之助(47)も同じことが言える。猿之助は5月18日午前に東京・目黒区の自宅でぐったりしているところを男性マネジャーによって発見、救急搬送された。首つり自殺を図ったとも報じられている。また本人による手紙も見つかったという。
ショッキングなのが両親の死だ。救急隊が駆けつけたとき、すでに母親(75)は死亡。父親(市川段四郎=76)は生きていたが、搬送先の病院で死亡した。両親は2階のリビングで見つかり、敷布団はないが掛け布団がかけられていた。外傷はなかったという。
両親も首吊り自殺をはかったのだろか、あるいは服毒自殺や練炭自殺をはかったのかという疑問がわいてくる。無理心中ということも考えられなくはないが、情報不足の現時点でははっきりしたことは分からない。
猿之助が死を選んだ理由は5月18日に掲載された女性セブンの記事と考えていいだろう。記事は猿之助が梨園の大スターの地位を利用して若手役者や劇場スタッフにセクハラ行為を働いていたという内容だ。猿之助の舞台に立った経験のある役者が酒につき合わされ、「横になりなさい」と指示されてキスをされ、身体を弄ばれたなどの衝撃的な内容が盛り込まれている。ある劇場のスタッフはキスを拒んだため、次の公演から担当をはずされたという。
記事の中で猿之助が率いる澤瀉屋(おもだかや)の一人はこう証言している。
「(猿之助と)夜にお酒を飲んだ後、2人きりになるのが怖いんです。私の場合はタクシーで手をつなぐのは当たり前で、キスをされたり、下半身を好き勝手にされたりする程度でしたが、周りにはもっと深刻な接触を求められている人もいました」
公演のために拒否できない
また、猿之助は名門高級ホテルのスイートルームや横浜や鎌倉、葉山、河口湖などの隠れ家的な高級ホテルを一棟貸し切ってドンチャン騒ぎをやることがあった。
その際もセクハラ行為を楽しんでいたそうで、芸能関係者の話としてこんなコメントが掲載されている。
「そのパーティーも、夜が深くなると雰囲気が変わります。猿之助さんが"お風呂に入ったら"とすすめることがあり、参加者が複数人で一緒に入浴させられるんです。そのうちに、猿之助さんも酔っ払ってきて一緒に入浴することもありましたし、手を握ったり、体を触ってスキンシップをとったり、キスをするといったことは、平然と行われていました。猿之助さんの周囲では、パワハラにセクハラを上乗せしたような行為が日常茶飯事です。内心ではそれを嫌がっている人もいます。ですが、次の猿之助さんの公演にかかわることができるかどうかなど考えると、拒否できない雰囲気になるんです」
いずれにせよ、猿之助が同性愛者だったという事実が世間を驚愕させ、追い打ちをかけるように自殺騒ぎが起きたことになる。
猿之助はもう完全に終わった
おりしも世間はジャニー喜多川(2019年に87歳で死去)によるパワハラ・セクハラ疑惑で持ちきりだ。そこに同様の同性愛スキャンダルの出現とは、世間を震撼させるに十分のニュースといえよう。
「残念ながら猿之助は完全に終わったね」とはベテラン芸能記者だ。
「猿之助は今の日本人が一番嫌悪しているセクハラ、それもホモセクハラを暴露された。それだけでも罪が重いのに、両親を巻き込んで死なせてしまった。猿之助が単身で自殺をはかり命が助かったのならともかく、親の命まで奪ったとなれば世間は簡単に許してくれない。重い十字架を背負ってしまったことになる。この先檜舞台に立つのは絶望的だ」
考えてみると、猿之助の従兄で2011年に9代目市川中車を襲名した香川照之(57)も先般、週刊新潮によって銀座のクラブホステスへの手荒なセクハラ行為で告発され、いまだに"謹慎中"だ。復帰のめどはたっていない。香川についても芸能マスコミの間では「すべてを失った」と今後を絶望視する声が上がっている。
猿之助はセクハラ行為を長年堂々と繰り返していただけに、香川よりも問題の根は深い。ちなみに香川は東大文学部卒、猿之助は慶応大文学卒だ。
伊丹十三はSMプレーを暴露され、ビルから飛び降りる
今回の猿之助の事件で筆者が真っ先に思い出したのが俳優で映画監督だった伊丹十三の自殺だ。いまから26年前の1997年12月、伊丹は伊丹プロダクションが入っているマンション(東京・港区麻布台)で飛び降り自殺をはかって死亡した(享年64)。
このとき伊丹は写真誌「フラッシュ」によって女性関係を暴露されていた。伊丹は宮本信子(78)という妻がありながらある女性と不倫関係に陥り、おまけにSMクラブ通いまであからさまにされた。そのため伊丹はワープロ書きの遺書を残し、そこには「身をもって潔白を証明します。なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです」との文言があった。
「このとき芸能マスコミの間では『暴露した伊丹の愛人はアムウェイの社員らしい』との情報が流れた。また、フラッシュが続報で愛人とSMプレーをしている写真を掲載する予定で、伊丹はそのことを知って進退窮まり、突発的に死に向かったとの説もある。写真は伊丹が緊縛されているカットとも言われた。ただ、本人が死亡したことからさしものフラッシュもそれ以上の後追いは仕掛けなかった」(前出の芸能記者)
本当に潔白であれば会見を開いて釈明し相手の女性を告発すればいいのに、それをせず死を選んだということは何かがあったと考えざるを得ない。
実は伊丹の死については暴力団の逆襲説があり、その謎はいまだに晴れていない。
というのも伊丹は92年に「ミンボーの女」を監督。この映画が民事事件を舞台に暴力団を批判的にとらえた作品だったため、伊丹は映画公開の直後に自宅近くで暴力団・後藤組の5人に刃物で襲撃され、顔などに全治3カ月の重傷を負った。
また、93年には監督作「大病人」を上映中の映画館で暴力団組員がスクリーンを切り裂く嫌がらせも起きている。そのため「ヤクザが愛人の女を抱きこんでそそのかし、伊丹に報復したのでは?」との声も上がったものだ。
猿之助が若手役者に絡んだ衝撃写真
今回の猿之助のスキャンダルについては「女性セブン」が第2の矢を用意していたからという見方が濃厚だ。
前出の芸能記者はこう言う。
「当然ながら、女性セブンは猿之助が男性役者などにセクハラ行為をしている写真を入手しているはず。キス写真なのか、それとも男性役者と一緒に風呂に入っているカットかは分りませんが、それなりに衝撃性を含んだ画像でしょう。従兄の香川照之も週刊新潮が放った第2の矢の暴行写真が致命傷になって奈落に沈んだ。猿之助はホモセクハラだから、考えようによってはさらに傷が深いともいえる。第2の矢に恐れをなし、『俺はもう終わりだ』と命を投げ出したのかもしれません」
猿之助も伊丹十三と同じように、性的スキャンダルを恥入り、将来を絶望視して死を選んだと思えるのだ。
本稿の冒頭に自殺は未遂のほうが芸能マスコミにとって好都合と書いた。理由は本人とその周辺からさまざまな事実関係が明るみに出るからだ。
猿之助のセクハラはどこまで陰湿だったのか、両親の死は無理心中だったのか、家族の誰が自殺を言い出したのか、猿之助は死に臨んで何を考えたのか、セクハラを働いた役者への贖罪の気持ちはあるのか、両親の最期の言葉は?――。知りたいことは山ほどある。
梨園の大スター市川猿之助はこれから、いばらの道を歩くことになる。