事務所スタッフが恐怖した「禁じられたマリコ」の狂気の顔
1986年4月8日、岡田有希子死す。
彼女がなぜ自殺したのかをこの37年間考えてきた。その間さまざまな噂が流れた。一番有名なのは俳優・峰岸徹(2008年に65歳で死去)との恋愛説だろう。ドラマ「禁じられたマリコ」(TBS)での共演がきっかけで有希子が憧れを抱き、2人は男女関係に至ったが、峰岸がつれない態度を取ったことに有希子が失望したというのが大まかな筋書きだ。
この話に尾ひれがついて、「実は有希子は妊娠していた」との声も浮上。さらに背びれもついた。筆者が呆れたのが神田正輝(72)の身代わりになったという説で、以下の内容だった。
当時有希子が所属するサンミュージックの先輩に松田聖子(61)がいた。松田聖子は前年の85年6月に神田正輝(石原プロ所属)と結婚。ところがその神田が有希子に手をつけて妊娠させた。有希子は神田に冷たくあしらわれたため、あてつけのように自殺した。
石原プロはこの話が表に出ると、神田にとって致命的なイメージダウンになると判断。サンミュージックもドル箱の聖子までが巻き添えになると危惧した。当時の聖子は妊娠中で、この年の10月に沙也加を出産した(沙也加は2021年12月に投身自殺)。
そこで両事務所は峰岸に「キミが有希子自殺の張本人だということにしてくれ。その代わり、今後の仕事は面倒をみる」と条件を提示。峰岸は人助けのつもりで犯人役を務めた……。
「峰岸がちゃんとした会見を開いて身の潔白を主張しなかったのはそのためだ」
「有希子自殺騒動のあと峰岸のテレビ出演が増えた。濡れ衣を買って出たおかげだ」
との声もあがった。
もちろんこの峰岸ダミー説が事実であるという証拠はない。あくまでも噂話。誰かが酒でも飲みながらでっち上げたのだろうが、それにしても良くできている。なんだか都市伝説のようだ。
当時の報道によると、有希子は遺書らしきものを残し、そこには「待っていたけど、あなたは来てくれなかった」というような文言があったという。また、自殺した日の夜、峰岸はTBS前で緊急の囲み取材を受け、
「僕は兄貴のつもりでしたが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。そういうことがあったとしたら、僕にも責任はあると思います」
と語っている。
「峰岸徹は許せん」と言い続けた相澤氏
そうした情報を総合すると、有希子と峰岸に何らかの関係があったのは事実だろう。事件からかなりの年月が経ったころ、筆者はサンミュージック関係者と酒を飲んだ。相澤秀禎社長は13年5月に他界していた。その関係者は筆者にこう明かした。
「有希子と峰岸さんとの間に何かがあったのは間違いない。その証拠に相澤秀禎社長は死ぬまで『峰岸は許せん』と言い続けたからね。ただ何に怒っていたのかは分からない」
この話が本当なら、やはり峰岸が黒幕ということになる。
有希子は1967年8月生まれ。一方、峰岸は1943年7月生まれで、有希子が死亡したころは42歳だった。年齢差は24歳。親子ほど年が離れているが、有希子は彼に年上の男の魅力を覚えたのだろう。
ただ、2人の間に男女関係があったという説には疑問が残る。有希子は堀越高校を卒業するまで東京・成城学園にある相澤社長の自宅に下宿していた。相澤社長は他人の娘を預かっているので門限に厳しい。
おまけに有希子にはいつもマネージャーや付き人がぴったりくっついている。人の目を盗んで峰岸と恋愛の密会ができるものだろうか。そもそも売れっ子の有希子には自由な時間はあまりなかったはずだ。
エロトマニア(恋愛妄想)だった可能性
そうしたことから筆者は、2人が個人的に会うことはあったかもしれないが、深い関係ではなかったのではないかと考えている。有希子は一種のエロトマニア(恋愛妄想・被愛妄想)で、峰岸に憧れを抱いているうちにいつしか彼との恋愛を妄想し始めた。そんな可能性を考えてきた。
芸能ジャーナリストの本多圭氏が08年に日刊サイゾーに寄稿した記事によると、生前の相澤氏は「有希子は峰岸さんに恋焦がれて、プラトニックな愛を持ち続けて、自殺したんです」と語ったという。
また、有希子が残した日記風のノート(おそらくこれが例の「遺書らしきもの」)には彼女の思いがつづられていたそうで、本多氏はこう記している。
〈その日記風のノートには、相手の男性の名前(=峰岸徹)はもちろんのこと、彼女が峰岸を思い、そのことがうれしくて、喜ぶさま。一方で、その恋は成就することがないと判断し、真綿でクビを絞められるような苦しみが克明に綴られていたという〉
相澤氏は育ての親として有希子の純潔イメージを保つためにプラトニックラブを主張したのかもしれないが、そのことを割り引いても、エロトマニアであった可能性は否定できない。相澤氏が「峰岸は許せない」と言い続けたということは、有希子に対する峰岸の態度があまりに冷徹で彼女を追いこんでしまったという意味ではないだろうか。
「禁じられたマリコ」が精神的に追い詰めた
いずれにしろ有希子は死を選んだ。死の直前の彼女は"発狂状態"だったのだろう。そうした精神状態を招いた要因として、出演したテレビドラマを指摘する声もある。
前述したように有希子はドラマ「禁じられたマリコ」で主演のマリコを演じた。放送は85年11月から86年1月だった。
このドラマは犯罪の濡れ衣を着せられて殺された父を持つ少女マリコが悪の組織の追跡から逃れるというもの。マリコはピンチに陥ると顔が引きつり、ポルターガイスト現象を起こす。これによって窮地を脱するのがクライマックスの見せ場だった。
有希子の死後1~2カ月経ったころ、事情通の知人からこんな話を聞いた。サンミュージックの関係者が帰宅後、自宅のテレビで「禁じられたマリコ」を見た(再放送だったのか、それともビデオ映像を入手したのかは忘れた)。このドラマでポルターガイスト現象が起きるときの有希子の表情を改めて見て、その関係者は恐怖を感じたそうだ。
知人はこう話してくれた。
「ドラマの中の有希子は目を吊り上げ、口元が歪み、鬼の形相になる。そうやってポルターガイストを起こすのが番組の見どころ。その関係者は一人でこのシーンを見てゾッとした。精神錯乱を起こしたときの有希子の表情と同じだったからだ」
この証言から筆者は有希子が「禁じられたマリコ」出演によって気持ちが不安定になったのではないかとも考えた。荒唐無稽のようにも思えるが、芸能界には同じようなメンタリティーの人物がいる。
女優のF・Mはドラマのシナリオを読み始めると精神的な不安定に陥り、失踪したり、部屋に引きこもったりすることで知られる。
「シナリオを読んで役になりきろうとすると、幽体離脱のように別人格になる。スタジオを抜け出して70万円分のオモチャを買ってきたというエピソードで有名だ」(あるマネージャー)
同じような精神作用が有希子に起きたのではないかと、筆者は長年考えてきた。うがった見方をすれば「禁じられたマリコ」が有希子の精神状態に悪影響を与え、死に追いやったとも思えるのだ。ただ、筆者は精神科医ではないので、この仮説が正しいかどうか分からない。いつか医師の解説を聞いてみたいものだ。
以上、岡田有希子の死の背景に峰岸徹の存在と「禁じられたマリコ」の影響があったという2種類の可能性を論じてみた。もちろん、このほかにも自殺要因があったと思われる。それは酒井法子にも続く「負の連鎖」である。