爆問の土下座と「やすしくん」騒動 松本人志の笑みの裏に隠れた「恨み」の正体
吉本興業のHPより

爆笑問題を「殴られるか、土下座か選べ」と恫喝

爆笑問題(HPより)

一昨年秋のこと、筆者はツイッターを始めたばかりだった。スペース機能を使って詳しい人にいろいろと話を聞いたら、「松本人志さんを批判しないほうがいいですよ」とアドバイスされた。なぜなのかと質問するとこんな説明だった。
「世の中には松本人志の熱烈な支持者がたくさんいて、ツイッターには何百万人ものフォロワーがいる。もし松本さんの悪口を書いたら、彼ら狂信的ともいえる松本信者が通報などして炎上騒ぎに発展。アカウントが使えなくなるからです」

なるほど。2023年2月6日現在の松本人志のツイッターフォロワー数は実に935万人。まさに「松本人志、恐るべし」である。

筆者は松本と会ったことはないが彼は怖い存在だ。いや、怖いというより、気味が悪いと言ったほうがいいだろう。

松本人志(59)は浜田雅功(59)とお笑いコンビを組み、数回の変名を経て1983年から「ダウンタウン」として定着した。30年ほど前に東京進出を果たして大成功。その松本が最初に起こしたトラブルが95年の“爆笑問題土下座騒動”だった。

そのころ太田光(57)と田中裕二(58)の爆笑問題は情報雑誌にコラム記事を連載していた。その欄で「芸人が流行りの服を着ているのはダサい」と、雑誌にトレーニングウェア姿で登場していた松本を批判。さらに「アディダスの広告塔みたいなもの。あの無神経さは信じられない」とたたみかけた。

これに松本が大激怒した。当時の週刊誌報道によると、コラム記事を読んだ松本は「すぐに2人を呼べ」とスタッフに命令。太田と田中は松本の仕事場に駆けつけたという。

震え上がる2人に松本は「俺のことには触れんときいな」と声を荒げてこう宣言した。
「お前らに問題を出す。いますぐ答えてみい。1、いますぐ芸能界を去る。2、ここにあるパイプ椅子で殴られる。3、この場で土下座せい」
爆笑問題の2人は額を地べたに擦りつけて謝罪したというのだ。

答えをはぐらかした太田光代社長

引退か、暴力制裁か、土下座かのいずれかを選べとは横暴極まりない。

この報道を読んだとき、筆者はすぐに爆笑問題の事務所に電話して事実関係を問い合わせた。電話に出たのは太田光の妻で社長の光代さんだった。

松本人志が爆笑問題を恫喝し、土下座させたのは事実かと質問すると、光代さんは、
「事実関係がはっきりしないのでお答えのしようがありません」
と言う。

あれこれと質問したが、土下座騒動が本当なのか虚偽なのか明確な返答をもらえなかった。

それも無理はない。当時の爆笑問題は知名度や人気でダウンタウンに大きくリードされていた。おまけにダウンタウンは天下の吉本興業、爆笑問題は個人事務所だ。横綱と十両くらいの力の差があった。光代社長は後難を怖れて答えをはぐらかしたのだろう。こうした経緯で、松本はそれほど批判を浴びずにすんだ。

そのころ出版界では松本人志ブームが起きていた。きっかけは松本が週刊朝日に連載したエッセーが「遺書」「松本」の2冊の単行本として出版され、合計で450万部以上という驚異的なヒットになったことだった。買っているのは女性を中心とした若年層と言われた。

この人気にあやかった松本人志の研究本が次々と出版され、その数は10冊以上に及んだ。松本人志は一種の社会現象だったのである。

横山やすしの零落をあざ笑う

ちょうどそのころ、特筆すべきコントが始まった。松本が95年9月に「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系)で始めた「やすしくん」のコーナーである。
太い黒ぶちメガネをかけた松本が横山やすしの物まねで登場。「日本一の芸人や」「怒るでぇ~、しかし!」と、誰が見ても横山とわかるキャラでギャグを連発した。

ギャグとはいえ、その内容には悪意が漂っていた。当時の横山は度重なる不祥事で吉本興業を解雇され、生活の困窮が伝えられていた。松本はその横山を模して「ガス、止められとるがな、しかし。ガス屋もええ根性しとるの」「水道、止められとるがな。近畿の水がめ琵琶湖も、いい根性しとる!」とパロディーにした。

おまけに「カズヤは」「ひかりは」と横山の息子の木村一八と娘のひかりの名前まで連呼。「カズヤはまだ夢の中」と鼻歌に盛り込んだ。

放送ではわざとらしい笑い声がかぶさっていたが、笑える内容ではなかった。筆者は横山やすしのファンではないが、それでも不快に感じた。スタッフは松本を止められなかったのだろうかといぶかしんだものだ。

松本がここまで横山をおちょくったのは仕返しと考えていい。彼らダウンタウンは「ライト兄弟」のコンビ名を名乗っていたころに出演したお笑い番組「ザ・テレビ演芸」で横山から、
「おまえらの漫才は何じゃい。チンピラの立ち話やないか。ナメとんのか」
と叱責された。

松本はその恨みを忘れなかったのだろう。横山が吉本をクビになり、何者かに暴行されて大けがを負い、廃人同然に落ちぶれるのを見極めて「やすしくん」のネタにしてからかった。いや、悪しざまに罵ったと表現してもいい。

当然ながら、家族の一八らは激怒したが、当時の松本の勢いの前に無駄だと判断したのか、これといった抗議はしなかった。同コーナーが続いている最中の96年1月、横山は死去した。

仕返しのチャンスを待っていた

松本は「遺書」の中で、横山に叱責されたときのことをこう書いている。
〈チンピラはお前じゃ、というツッコミを入れられないほど、彼はわめき散らした。オレは何度も手が出そうになったが、とりあえずガマンすることにした(殴っといたらよかった)〉

例の松本人志ブームのときに出版された研究本に「書かれなかった松本 松本人志の処世術に学ぶ」(辰巳出版)がある。松本の処世術を褒めそやしながら、その歪んだ性格をチクチク非難した本で、まだ横山が存命の時期に発売された。この本の「強い奴に毒づきたければ、相手が半死半生になるまで待て」の節にこんな分析が書かれている。

〈松ちゃんはしぶとくズル賢い。
「ここで殴ったら、オレたちは終わりや」
という計算をしたのである〉

〈いまでは、横山が全盛時代のようにカムバックできると思っている人は皆無に近い。
(暴行を加えた犯人はいまだに検挙されていない)
松ちゃんはこのときを待っていたかのように、
「殴っとけばよかった」
と言い切っている〉

〈松ちゃんがエッセーでこの横山との一件を書いたのは、彼流の仕返し、つまり復讐だった。じっくりと、時期が来るのを待って復讐を果たしたわけだ〉

ルサンチマンが鵺のように迫ってくる

実を言うと、松本と浜田が新人時代にライト兄弟を名乗ったのは横山に気に入られるためだったとされている。横山は80年に米国に渡ってセスナ機を1台購入し、マスコミを集めてのお披露目も行った。飛行機好きは有名だった。

松本と浜田はそのことを前提に横山におもねるため、あえてライト兄弟という飛行機に関連するコンビ名にした。ところが「チンピラの立ち話」とこき下ろされたため、松本の復讐心に火がついたというわけだ。

思うに松本人志というのは一種のルサンチマンなのだろう。強烈な怒りを持ちながら、耐え忍んでいた。それがお笑い界で人気絶頂となり権力を握ったため、爆笑問題に土下座せいと迫り、その勢いで横山を屈辱の肥溜めに沈めたのだ。

また、自分の立場を利用して誰かを脅すという点では、松本も横山も同類だろう。同じ穴の何とやら同士が憎み・憎まれの立場に分かれたような気がする。ただ、時間をかけて復讐するという執拗さは横山にはない。

最近の松本人志はCMなどで気のいいオッサンを演じることがあるが、筆者は彼の笑みの裏にもう一人の人間が潜んでいるように思えてならない。その陰影の別人格がテレビの画面を突き破って、鵺のように迫ってくる。だからニタニタ顔が気味悪く感じられるのだ。

さて、問題の「やすしくん」は動画サイトに散見される。この前まではたくさんアップされていたが、ここにきてやすしの貧困ぶりをこき下ろしたものなど、過激な映像がなくなっている。なぜなのか。もしかしてツイッターにいる935万人の信者が圧力をかけたのか。

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