駅前のたこ焼き屋台 月に700万円売り上げるボロ儲けのからくり

ショバ代15%、フィクサーに5%、バイト君に30万円でなんと純利200万円

先日、フェイブックにお祭りの縁日でたこ焼き1パックが600円もするのでビックリしたと投稿した。すると友人から「本当に高くなったねえ」と電話をもらった。彼も買うのに躊躇するそうだ。

縁日のたこ焼きは8個入りだから1つ75円の計算になる。フェイスブックにも書いたように、筆者が幼稚園児だった1964年、田舎の縁日では1パック35円で売っていた。

当時はまだ穴のない5円玉があり、それを含めた35円を握りしめて買いに行ったものだ。今では冷凍のたこ焼きもあるが、そのころはお祭りのときしか食べられなかった。ちなみに、アイスキャンディーは5円だった。

筆者は食べ物をはじめとするビジネスの裏側を聞くのが好きだ。商売をしている人に出会うと「いくらで仕入れて、いくらで売るんですか?」といろいろと質問してしまう。大抵は詳しくは教えてくれないが、たまに裏事情を明かしてくれる人がいる。そうした中、20代のころから、たこ焼きの儲けが気になっていた。

1980年代半ばに横浜市に住んでいるとき、日吉駅の前に毎日、たこ焼きを焼いて販売する屋台が立っていた。85年のある夜、たこ焼きを買いつつ、店のオジサンに「何かいい仕事ないですかねぇ?
」と聞いたら、
「俺みたいにたこ焼き屋をやりなさいよ。1日で15万円になるよ」
と言われた。

えっと思った。畳にして2畳にも満たないような小さな屋台でたこ焼きを焼き、駅で乗り降りする客に手売りして1日に15万円。
「ウソでしょう」
と聞くと、オジサンはにんまりと笑うだけ。それ以上は教えてくれなかった。

本当だろうか。筆者は長らく疑問に感じていた。

やっぱり本当だった“たこ焼きドリーム”

その謎が解けたのは4年前の2018年だった。40年前つまり1978年ごろ、私鉄S線のある駅でたこ焼き販売をしていた人と出会ったからだ。

彼は駅の敷地内で販売用の屋台を特設する権利を得て商売をしていたという。たこ焼きのほかに冬場は今川焼きも販売。たまにS線系列の百貨店の催事でたこ焼きと和菓子を売ることもあり、平均すると1日の売り上げは20万円以上だったそうだ。

あの日吉のオジサンの話は本当だった。というか、もっと儲かっている人がいたのだ。というわけで取材した。

「1人で1日に20万円ですか?」
「いや、さすがに1人では無理です。20代の男の子をバイトに雇ってましたよ。私が休みの日は彼に任せていました」
「バイトのギャラは?」
「そうですねぇ。月に最低でも30万円は渡してました」
「月の売り上げ総額はいくら?」
「まあ、700万円くらいですね」
「そのうち経費は?」
「毎月、私鉄線の会社に正規のショバ代として売り上げの15%を払います。それ以外に権利を持っている人、つまり私に店を開かせてくれた人に5%払ってました」
「その権利を持っている人は何者? ヤクザですか?」
「いや、ヤクザじゃないですね。普通の人です。でもその私鉄沿線に権利を持っていました」
「それで月の利益はいくら?」
「材料費や燃料費、ショバ代など、それとバイトの給料などを引いて月に200万円が私の取り分でした。だけど高級ベンツを買ったり、酒を飲んだりしたのであまり残っていません」

夏はたこ焼きが売れ、冬は今川焼が売れた。今川焼は1個70円で、1日に1000個売れて7万円になったという。

「とはいえ、たこ焼きにはかないません。今川焼は甘いのでやはり飽きがくる。たこ焼きは飽きがこないので毎日でも食べたくなるからです。今はタコが高いので、専門店なども別の物を材料にしてるんじゃないですかね」

1978年の大卒初任給の平均は10万5000円。月の利益200万円は現在の価値に直すと400万円だ。20代のバイト君は月給60万円以上ということになる。いい給料だ。たこ焼きひとつで一攫千金。まさに“たこ焼きドリーム”である。

筆者はそのころ都内にある札幌ラーメンのチェーン店の味噌ラーメンや塩ラーメンが330円だったのを覚えている。ラーメン一杯が330円の時代にバイト君の月給30万円は破格の高給だ。当時、筆者のような安アパートに住む貧乏学生は「1日を1500円で過ごす」が共通スローガンだった。

それはともかく、筆者は彼にたこ焼きの屋台を出店させてくれた"権利屋"が気になる。どこの世界にもこうしたフィクサーがいるものだ。たこ焼きフィクサーは何者なのか……。

おすすめの記事