化粧で別の生き物に化ける詐欺師のような変化
筆者は男だから、これまで顔に化粧をした経験がない。20歳前後のころ、友人に誘われて横浜駅西口のディスコに行ったら、同年代くらいのカップルがいて、ロッカールームで女性が彼氏の顔をメークする姿を見た。たかが体をクネクネさせるだけなのに男も下準備が必要だと知って、「ご苦労さまですだぁ」と声をかけたものだ。相手はべつに怒らなかった。
ユーチューブで不美人な女性が鼻歌を歌いながら化粧をし、別人に変身する映像を見ることがある。まさにメークは顔を変える。整形手術に匹敵する驚異の改造パワーだ。
今から30年ちょい前、グラビア雑誌で水着撮影を担当していたころは、そうした改造パワーによく驚嘆させられたものだ。毎月モデルを3~4人呼んで、スタジオで撮っていて、彼女たちが見事に変身するさまを目撃した。というか別の生き物に化ける。
あるとき撮影でモデルを待っていたら、若い女性が「遅くなってすみません」とスタジオに駆け込んできた。相手はすっぴんだ。
見れば顔は下膨れ、目は奥二重で細く、鼻はやや団子鼻。肌が乾燥している。すっぴんだから顔の印象が灰色。荒涼たる冬の景色だ。筆者は頭の中で「冬子」と名づけていた。
冬子は事前にマネージャーから受け取っていたプロフィールの宣材写真と全然違う。一言でいえばブス。それもかなりのものだ。
モデルというより掃除のオバサンという感じなので、「来る場所、間違えてますよ」と警告した。冬子も一瞬、スタジオの部屋番を間違えたと思ったようで「すみませんでした」と言って出ていこうとした。
ところが次の瞬間、
「あ、それ私です」
と声をあげ、筆者が手に持っている宣材写真を指さした。筆者が持っていた写真ははちきれそうな笑顔を向ける飛び切りのかわい子ちゃんだ。目の前にいる女性とは似ても似つかない。
「えっ?」
「その写真、私なんです」
「これがあなた……?」
「はい」
「年は?」
「21歳です」
頭の中で「?」マークが飛び交っていたが、本人が「私です」と言っている以上、おまえはニセモノだとは言えない。そこでメイクルームに通し、ヘアメイクアーチストの女性に化粧をしてもらった。
まるで目の前に「ナツコの夏」がいるみたい
しばらくして、
「お待たせしました~」
と出てきた冬子を見て少しビックリ。さっきと顔が違う。変化しているのだ。目元がくっきりし、鼻筋も通っている。
だがまだ宣材写真ほどの美女ではない。
「この子で大丈夫かな」
と相変わらず心配していると、カメラマンが照明のセットを終え、
「ちょっとホリゾンの前に立って」
と指示した。ビキニを着たナイスなバディの彼女が指定の場所に立ったとき筆者は、
「ゲゲッ」
とうめいた。左右からのライトを浴びて顔が別物になっているのだ。古びたバレーボールのように膨張し肌がカサカサしていた顔が、新たにアゴが出てきて立体的になり、頬やひたいがつややかに輝いている。小さめの両眼もぱっちりと見開いているではないか。
まるで資生堂のCMの小野みゆきみたいに表情が引き締まっている。1979年の「ナツコの夏」の映像が目の前にちらついた。
「じゃ、ポラを切るよ」
カメラマンに言われ、冬子はポーズを取ってニッコリ。左右からのライティングのほかにストロボも飛ばしてシャッターを切った。
3分後、絵が浮かび上がったポラロイド写真を見て、
「えええ~ッ!」
と筆者は驚愕の雄叫びを放った。つやっぽいのだ。うるわしいのだ。とにかく美しいのだ。そして宣材写真と同じなのだ。
しかも身長164㌢でボンキュッボンのおいしそうな肉体。頭の中で「燃えろいい女 燃えろナツコ~♪」のフレーズが大音量で流れた。
「何じゃこりゃ~!」
と叫びたかったけど、それじゃまるで素人みたいだからぐっと我慢した。ただ、CMソングがエンドレステープのように頭の中で回っていた。こうして冬子はナツコに完全変態したのである。
その変化のありようは一種の詐欺ともいえる。詐欺師のような進化だ。
別の編集スタッフも「帰れ」と言いそうになった
その日は4人の女性モデルを撮影したが、後日ラボから現像されてきたポジフィルムでは彼女が飛びぬけてきれいだった。
その3カ月後、社内の他の雑誌の編集部員と話をした。彼も冬子を起用したことがあるそうで、
「実は僕も彼女に『ここはグラビア撮影のスタジオですよ。間違えてません?』と言いそうになりました。彼女のメイク大変身はすごい。恐ろしいほどですね」
と興奮気味に語っている。同じ感想の人間がいるということは筆者の感性はノーマルということだろう。なんだかホッとした。
その後、筆者は女性の変身に少し慣れた。そしてメイクの法則に気づいた。それはブスほど美人に変じるということだ。それも肌がゴツゴツしているほうが化粧のノリが良くて美人度がアップするから不思議だ。すっぴんのきれいな女性は逆にブスに近づく印象がある。これも不可思議だ。
それにしても冬子の人生は大丈夫だろうか。彼女の将来の夫が心配になった。メイクをした彼女を気に入って結婚したはいいが、シャワー後にすっぴんを見たとたん「誰だ、おまえは? 泥棒か?」と身構えるのではないだろうか。