「後ろの正面」は誰? 童歌「かごめかごめ」に秘められた怖くて悲しい男女の裏話

罪人が振り返ると、自分を斬首する介錯人が

先日、伝統芸能の関係者と酒を飲んだ際に盛り上がったのがわらべ歌「かごめかごめ」の裏話だ。筆者が子どものころはまだ、女の子たちが空地に集まり、この歌を歌いながら遊んでいた。
歌詞は以下のとおり。

「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑(すべ)った 後ろの正面だあれ?」

意外と知られていないようだが、この歌詞には実は怖い意味が隠されている。

筆者が高校生だった50年前、ラジオ番組のDJがこのテーマを論じるのを何度か聞いたことがある。彼らの論によると「かごめかごめ」は遊女の悲劇を歌ったというのだが、このほかに諸説がある。本論の前にそのうちの2説を紹介する。

ひとつは「かごめ」は罪人を乗せる唐丸籠(とうまるかご)の意味で、籠に乗せられて護送される死刑囚をうたっているとの説。罪人は刑場に運ばれ、首を斬られる。後ろの正面に立っているのは自分の首を切り落とす介錯人という落ちである。

この説を聞いて思い出したのが以前、博学の知人から教えられた「鶴と亀が滑ったは『つるりと首(こうべ)が滑った』だよ」という話だ。彼はこう解説してくれた。

「江戸時代の介錯人は罪人の首を完全に切り落とさなかった。首が飛んでいくことを嫌ったからだ。そのため首の皮一枚を残して斬首した。首は喉ぼとけの部分の皮がつながった状態でだらりと垂れ下がる。これが『つるりと首が滑った』。そのとき目に見えるのは自分の腹部。つまり後ろの正面は自分の腹ということ」

目に映るのは介錯人ではなく、自分の胴体というのだ。さらに彼は「つるりと首がつうべった」という言い方もあると教えてくれた。

もうひとつは「かごめ」は「籠女」と書き、妊婦をさしているとの説。江戸時代に殿様の子を宿した女性が出産間近のときに、何者かによって階段から蹴り落されたという。「鶴と亀が滑った」は妊婦と胎児が滑り落ちたということだろうか。テレビドラマや映画の「大奥」ものではこうしたお世継ぎの誕生をめぐる策謀の場面をよく見かける。

鶴は折檻を受けて店に戻され、亀は簀巻きで殺される

筆者が高校時代にラジオで聞いた話でも「かごめ」は「籠女」の意味だった。ただし妊婦ではなく吉原などの遊郭に囚われた女性をさしていた。

吉原という籠に閉じ込められた遊女(籠女)はこの場を脱出して幸せになりたい。だから、いつになったら逃げ出すことができるのかという問いかけが入る。

「鶴と亀」は鶴が女、亀が男をさしている。「夜明けの晩」という矛盾した表現の言葉は門番が一番眠くなる明け方の4時ごろのこと。その時間に居眠りをしている門番の隙をついて客と遊女が手を握って足抜け、つまり逃亡をはかる風景を歌ったものだ。「滑った」は逃げたの意味を表している。

遊女と客は必死で逃げるが、当然ながら追っ手の追跡を受ける。逃げながら後ろの正面を振り返ると、そこには店の者とやくざ者、役人が追いかけてくる光景が見えるという解釈だ。

男女はいずれ捕まる。捕まると男はやくざによって簀巻き(すまき)にされ、川に放り込まれる。簀巻きとは体を筵(むしろ)で巻く刑罰。身動きできないため、水中で溺死することになる。

一方、女は折檻を受けたあとまた店に出るよう強要される。男女とも幸せになれない悲劇の歌である。

ちなみに2007年の映画「さくらん」(蜷川実花監督)は土屋アンナ扮する遊女が遊郭から何度も逃げ出す物語。漫画が原作だからか、コミカルに仕上がっているが、本当の吉原遊郭は悲惨だった。

東京・三ノ輪に現存する浄閑寺は遊女が死亡した際に、ろくに弔いもせず死体を投げ込んで埋葬した場所だ。そのため別名「投げ込み寺」とも呼ばれている。

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