誰もが忘れた宮沢りえ、破局・激ヤセ騒動
先日ネットのニュースを閲覧していたら、宮沢りえの体の曲線美を称賛する書き込みをたくさん見かけた。彼女は今もあちこちの雑誌の表紙などで美しい姿を披露している。細い体の長い足は46歳とは思えない麗しさ。元芸能記者としては、よくぞここまで体型を維持したものだと痛感。同時に過去を思い出してしまう。
筆者が芸能報道の世界で働いていた1989年、宮沢りえはふんどしカレンダーを発表して世間をビックリさせ、91年にはヌード写真集「サンタフェ」を発売して日本中を仰天させた。翌92年は力士の貴花田(のち貴乃花)との電撃結婚を発表して、これまた日本人を驚かせたが、93年に婚約破棄に追い込まれた。筆者もこの破局会見に出向き、テレビリポーターたちのすぐ後ろに座っていた。
この破局騒動の際に女性誌などが盛んに唱えたのがりえの「肥満恐怖説」だ。おそらく一般の人たちはとっくに忘れているだろう。女性誌の記事いわく、
「りえの母・光子さんは若いころはスタイル抜群のモデルだったが、今では中年肥りして見る影もない。りえは自分もいずれママのように太ると警戒し、早めの結婚を考えたのではないか」
結婚に結びつけないまでも、りえが将来太るという観測はよく活字になった。そこには父親がオランダ人ということも補強材料として駆り出され、
「欧米人は年を取ると太ることが多い。オランダ人の血を引くりえが肥満体になる可能性は高い」
とされた。
ところが実際は違った。破局騒動のあと宮沢りえは拒食症になり、みるみるうちに痩せ細って「激ヤセ」と言われた。一時は背中の開いたドレスから覗いた背骨がまるで古代の恐竜のたてがみのように見えると論評するメディアもあった。筆者もその写真を見たが、確かに痛々しい印象だった。
拒食症の原因は幼少期に母親の愛情を受けていなかったため「愛情欠乏」になったことだとも言われた。りえが米国で治療を受けているとの報道もあり、その方法がお湯を張ったバスタブの中で母に抱かれて安心感に浸るメンタル療法だと報じられたこともある。
りえは肥満を免れた。だが現在出演中の三井のリハウスのCMを見るにつけ、美人だけど49歳にしては少しやつれているなぁという印象を受ける。下馬評を裏切るように肥満は免れたものの、痩せたせいで顔のほうれい線がくっきりしている気がするのだ。
とはいえ、宮沢りえは女優として大成した。離婚会見の2年後に出演した舞台「天守物語」では「顔が美しいだけ」と週刊誌で酷評されたが、今では押しも押されもしない大女優だ。よくぞここまで来た。
筆者はぽっちゃり体型の女性が好きなので、りえには50歳を目前にこれからはもう少しふっくらしてもらいたいなぁと思う。といっても、華原朋美まで大きく成長しなくてもいいけど。