記憶に蘇った「谷村新司は統一教会?」という大ボラ話
「昴」

名曲「昴」は「さらば統一教会」を意味すると聞いた30年前

先ほどユーチューブを見ていて「へぇ~っ」と思った。大熊真春という写真家が「谷村新司は【隠れ統一教会】ではないと思うぜ。」なるタイトルでしゃべっている。
なんでも大熊氏は1980年代の終わりごろに九州大学に入学し、「バリバリの信者」や「統一教会をやめて苦しんでいる人」と会った。聖書研究会という集まりがあり、統一教会の人は「谷村新司は隠れ統一教会だ」と主張。一方、統一教会と関係ない人は「それはウソでしょう」と否定したという。大熊氏も「谷村新司さんにまったく統一教会色を感じなかった」という理由で、この説を虚偽とみている。「統一教会がこの説を利用していると思う」とも言うのだ。
その上で大熊氏は、谷村に統一教会説が出たのはヒット曲「昴」の「我は行く 蒼白き頬のままで」の一節が原因ではないかと考察している。
「統一教会の人はきつい生活、合宿生活をする。食べ物も睡眠も少ない。そうなると不健康に頬が青白くなる。だけど頑張っている姿を現すので、彼らは蒼白き頬を良いものととらえている」
統一教会に「我は行く」という歌詞を盛り込んだ歌があるそうだが、大熊氏はこの一節も否定。結論として「谷村新司さんが統一教会という話を聞いても信じないでください」と警告している。
念のためネットを調べたら、〈谷村新司の名曲「昴」は統一教会のスピリチュアル聖歌を聴き感動し作ったという噂がある。これは本当だろうか〉との書き込みもあった。
一連のコメントに接して、筆者の脳裏に桜田淳子統一教会問題で揺れた1992年が蘇った。なぜならこの年、筆者も同じような噂話を聞いたからだ。九州と東京と場所は離れているが、大熊氏の話を聞いて、ネットもない時代でも噂は伝播していたのだなぁと思うのだ。
92年当時、統一教会話はどのメディアも飛びつく売れ筋ネタだった。筆者は「橋幸夫もそうではないか」との噂を聞いて、関係者に事情を聞いたりした。橋は無関係だったが、その流れの中で伝わってきたのが谷村の話だった。こんな筋書きだ。
谷村はテレビやコンサートではユーモアたっぷりの男だが、実は真面目で人一倍悩む性格だ。3人グループのアリスはまだあったものの、谷村と堀内孝雄は音楽的方向性の違いからソロ活動を開始。そのため将来に不安を感じていた。そこに接近してきたのが統一教会の信者だった。ただ、谷村は彼らに深入りはせず、関係を絶ったというのだ。
聞いていて面白いなぁと思ったのが、例の「蒼白き頬」のくだりだ。筆者に話してくれた人はこう言った。
「谷村は信者らに怪しさを感じ取って訣別した。『我は行く 蒼白き頬のままで』は、自分に自信を持てないが、不安を抱え青白い表情のままで生きていくということ。嘘かまことか『さらば昴よ』はさらば統一教会の意味という話だ」
「哀しくて目を開ければ 荒野に向かう道より 他に見えるものはなし」から「凩(こがらし)は吠き続ける されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり」と連なるあたりは、苦悩を抱えた青年がたった一人の孤独な自尊心に身を包んで進んでいくのだと受け止めたくなると、彼は言うのだ。
ただし筆者も大熊氏と同様に、この説は眉唾、誰かが都合よく言い出したホラ話だと思う。統一教会の関係者が誰もが知っている名曲を悪用して宣伝オルグ活動のためにでっち上げたのだと。前述したように九州と東京でこのデマが聞かれたということは全国で利用されたのだろう。谷村にとっては迷惑な話。有名税ということか。

本人は「宇宙人と交信」と

ちなみに「昴」はプレアデス星団の和名。ウィキペディアの「昴」の項目にはこんな解説がある。
〈この「昴」は突然谷村の脳内に降って湧いた楽曲であり、その後しばらくは「プレアデス星団」の宇宙人と交信をしていたという〉
「昴」は設立したばかりのポリスターレコードの記念すべき第1作として80年4月1日に売り出された。当時同社に在籍していた筆者の友人は、
「ポリスターは創業したばかりで、社員はみんな不安だった。そんな中いきなり大ヒットが生まれた。『奇跡だ』と社内が沸いた」
と語っていた。
谷村も不安、レコード会社も不安。まさに「蒼白き頬」で黎明の中を歩き出したことになる。その結果、歴史に残る名曲が生まれたのである。

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