昔は加藤ちゃんがブスを見て「おえ~ッ!」
以前も本コラムで書いたが、テレビに出ている友人の作家によると、テレビ界は今後「美人」という言葉を使わない方針だという。美人の対極には「ブス」がいるわけで、そうした人の心情を斟酌すると美醜を表現する言葉は問題ありというわけだ。そこには女性を見た目で分類することが性差別であるという概念もあるだろう。
彼によると「女子」という言葉などはすでに使えないそうだ。「女子社員」は「女性社員」、「女子トイレ」は「女性トイレ」だ。
そういえばNHKは「女優」とは言わず、女性の役者にも「俳優」という言葉を使っている。これでは「大女優」という表現もできない。
世の中は変化するものだ。筆者が子どものころは「8時だョ!全員集合」で加藤ちゃんがブスの写真を見て、「お、おえ~っ!」と嘔吐を演じていた。今これをやったら、番組は即打ち切りだろう。
筆者は男と女は平等で女性のほうが頭がいいと思っている。昔の学園ドラマのヒロインのように生真面目で正義感が強い。それが理想の女性像だ。
だが、たまに「生きにくい世の中だなぁ」と思うことがある。
生年を聞いただけで「ダメですよ」とピシャリ
かれこれ10年ほど前から1000円の理髪店に通っている。カットの時間はわずか10分だから、理容師と親しく話をする客などはいない。牛丼屋で黙食する一人客のように、みんな黙々と髪を切ってもらっている。
そんな中、筆者は女性理髪師のIさんとよく話をする。女性は芸能界の話題が好きだ。筆者もかつての業務経験で少しは芸能界のことを知っているので解説めいた話をすることがある。
「スマップの草薙クンはなぜ酔っぱらい、全裸になって捕まったんですか?」
「あれはスマップ内の人間関係に疲れて、メンタルを病んだからだよ」
「人間関係?」
「そう。グループ内で仲良しコンビができたりして、関係がギクシャクしてるからね」
「へ~。5人とも仲良しに見えたけど、本当はドロドロなんですね」
「そうそう」
こんな会話をした数年後、スマップは分裂解散した。
そのIさんと昔のテレビドラマや歌手の話をしていた。彼女は筆者より20歳は若いはずなのに、古いことをよく知っている。すごいなと思った。
そこで、
「Iさんはなぜ、そんな昔のことを知っているの? 何年生まれ?」
と聞いた。すると、
「今の世の中、女性の年齢を聞くのはだめですよ。セクハラです」
ピシャリとお叱りを受けてしまった。
馴染み客が相手の女性が物知りなので驚いて生年を聞いた。それでセクハラとは……。こうした話の流れで生年を聞くだけでもダメなのかと少しビックリした。
翌月、店に行くとIさんはお休みだった。そこでもう一人いる40歳前後の男性理容師に切ってもらいながら、
「先月、Iさんに『何年生まれ?』と聞いたら、セクハラですよと怒られちゃったよ」
と言うと彼は、
「それは当たり前ですよ。今は女性の年齢を聞き出すような質問はご法度です」
と、これまたきっぱり。男性の中にもそうしたルールが浸透していることが意外だった。
こうした考えの男性は何歳なのかと興味を覚えたが、彼に「あなたは何歳?」と聞いたら今度は「それってパワハラですよ」と言われそうなので黙っておいた。
「私のお尻をジロジロ見てたんです」と泣いて抗議
その話を情報通フリーライターのM君に話すと、
「生年を聞いただけでセクハラですか。それはまだ軽いほうです。僕の友人は左遷されました」
と言われた。
彼の友人に一般企業に勤めているAさんという独身男性がいて、首都圏の営業所で働いていた。
ある日、B子さんという若い女性社員がタイトスカートをはいて出社してきた。そのスカートがきわどかった。肌にぴったりと密着しているため、パンティーラインがくっきり。パンティーの柄も透けて見える上に、ヒップの形がよく分かる。艶っぽい眺めだから、他の男性社員どもがチラチラ見ている。
実はAさんはB子さんに好意を抱いていた。彼女のパンティーラインを他の男たちの好奇の視線から守るため、社内でB子さんとすれ違った際にそっと耳打ちした。
「スカートがきつすぎて、見えてるよ」
やんわりと教えてあげたのだ。
ところがこのことがB子さんの口から上司に伝わった。Aさんは上司に呼ばれ、
「B子君から『セクハラされた』との苦情がきてるよ。なんだって、キミはパンティーのことで彼女をからかったんだって?」
と事情聴取を受けた。
Aさんは、
「スカートがきつくてお尻の形が丸見えだったから気の毒だと思い、教えただけです」
と弁明した。だが上司は、
「キミはそういうけど、B子君は『Aさんが私のお尻をジロジロ見てたんです。明らかにセクハラです』と目に涙を浮かべて訴えてたぞ」
とB子君の言い分を信じて追及する。好意が一転、Aさんは社内でセクハラ男にされてしまったわけだ。
その結果、どうなったか。しばらくしてAさんは地方の営業所に配置転換になった。要するに追い出されたのだ。
世間は地雷だらけ。いや、地雷女だらけか。やれやれである。
現代版「惚れたが悪いか」
米国発の「#MeToo」やセクハラ撲滅キャンペーンは正しい行為で是非とも進めなければならないが、こうした歴史の変革期には時として勘違いや思い込みによる「行き過ぎ」が起きることがある。Aさんはその犠牲者といえようか。
M君はこう言う。
「彼はB子さんに恋心を抱き、見られているのでかわいそうだなと思って警告してあげた。それなのに飛ばされた。不条理です」
筆者は太宰治の「御伽草子」を思い出した。この作品集の「カチカチ山」に出てくる狸は美しい兎に片思いしているが、兎は彼を毛嫌いしている。その結果、狸は兎によって湖に沈められ、最期に「惚れたが悪いか」と呟くのだった。