実は三十過ぎのオッサンと知って驚愕した筆者の小学校時代
筆者は人に何か言われて「当たり前だよ」と答えるとき、つい「当たり前田のクラッカー」と言ってしまう。子供のころ見ていた「てなもんや三度笠」の影響だ。この番組に出ていた白木みのるが2年前に亡くなっていたことが分かり、話題になっている。
「てなもんや三度笠」は1962年5月にスタート。藤田まことがあんかけの時次郎に扮した軽妙なコメディ時代劇。公開放送で、観客の拍手と笑い声が聞こえた。TBS系で放送され、最高視聴率64・6%を稼いだお化け番組だ。
藤田の相方が白木演じる珍念という小坊主だ。甲高い声でしゃべり、いつも饅頭を頬張っていた印象がある。山賊に軽々と抱え上げられ、「助けて~」と言いながら連れ去られる場面もあった。
白木は身長140㌢。まだ幼稚園児だった筆者は「なんで子供の坊さんがいるのかな」と疑問を抱きつつも毎週欠かさず見ていた。自分と同じような子供が出ているとシンパシーを感じてドラマに引き込まれるもの。そういう意味で白木の存在は大きかった。
ところが小学2年生のとき、級友から「白木みのるは30過ぎのオッサンだよ」と言われてびっくりした。本当なのか。親に聞いたら「そうだ」との答え。自分とそれほど年が違わないと思っていた小坊主が30代とは! マンモス級の衝撃的な驚愕を受けたのだ。実は白木は34年5月生まれ。筆者が小学2年だった66年時点で32歳である。
その日以来、筆者は世の中にはいろんな人がいるのだと知った。普通の大人もいれば、子供っぽい大人もいる。考えてみれば学校も同じだ。クラスにはかわい子ちゃんもいるし、かわい子ちゃんのバスに乗り遅れた子もいる。玉石混交といったら「女性差別だ」と怒られそうだが、輝いている子と輝きの薄い子の差は存在した。
白木は草創期の吉本興業に所属し、「てなもんや」の前の「スチャラカ社員」出演時から人気を博したが、「芸能界はいつまでできるか分からん」と実業家に転じた。不動産業で成功したと報じられている。
80年ごろ、筆者の友人が大阪に遊びに行き、薬局に入ったら偶然にも白木が経営する店だった。友人が店に入ると、ちゃんと白木みのるが店番をしていたそうで、こう言っていた。
「あの甲高い声で対応してくれたよ。だけど顔に皺が多くてなんだか気持ち悪かった」
無理もない。80年だったら白木はすでに46歳だ。当時の46歳は今の46歳より老けていた。ましてや友人も筆者と同様に映りの悪いブラウン管テレビで「てなもんや」を見ていたため、白木が本物の子供に思えた。それが実年齢で現れたのだから、記憶との落差でゲロゲロッとなるのも当然だ。彼の話を聞いて、筆者は実年齢の白木を見てみたいと思った。失礼ながら怖いもの見たさという気持ちもあった。
藤田まことは白木より1歳上の33年生まれ。2010年に76歳で死去した。その12年後に白木が没したことになる。
今回の報道で、かつて西川きよしが白木の付き人を務めたこと、白木が生涯結婚せず、晩年は老人ホームに入所していたことが明らかになった。兵庫県芦屋市に住む遺族は「2年前に亡くなったのは事実です。それ以上はお答えできません」とつれない対応をしている。
気になるのは訃報を知った西川の反応だ。取材でこう語った。
「びっくりした。僕、しょっちゅう連絡とってお伺いしたんですが、おうちのみなさんにはお話は聞けないんです。周囲の人だけにしか聞けなかったので、お亡くなりになっていたのが分からなかった」
他人が白木に接触するのを、身内が阻んでいたのだろうか。謎だ。実に謎である。
われら「てなもんや」世代としては彼がどんな晩年をたどったのかに興味がある。遺族はなぜ「それ以上はお答えできません」と拒絶の姿勢を取るのか。その真意を知りたいものだ。