女が同性の不幸話を求めるのはアベミクス失敗による貧困の投影か
筆者は10年ほど前、エロっぽい漫画の脚本を書いていた。熊谷くにを氏や佐々木久氏が画を担当して拙い脚本を立派な作品にしてくださった。あくまでも素人脚本家だが、10年ほどで約100本書いた。実に楽しい作業だった。上掲の写真はその一部。
昨年、T社という出版社の編集者が「あなたが原作を書いた漫画を電子コミックに掲載したいので許可をいただきたい」と連絡をくれた。どうせカネにならないだろうから「お好きなように」とお願いした。
漫画はネットで売られ、同社は今も律儀に原作料を振り込んでくれる。金額は毎月400円前後。少額にもかかわらず支払調書をきちん送ってくれるので、切手代がもったいないという気がする。本当に頭が下がる。
それにしても、編集者は筆者のような無名の者にも電子コミックについて丁寧に説明し、コンテンツの拡充に努めている。1本でも多くコンテンツを獲得したいという執念、いや電子コミックビジネスのシビアさを垣間見る思いだ。
こうした経緯もあって昨年春、知人が都内の出版社・B社に筆者を紹介してくれた。打ち合わせをかねてB社に行くと50歳前後の女性編集長が対応してくれた。同社は電子コミックを本格的に手がけ、風俗嬢を主人公にした読み切りの脚本を求めているという。
せっかく来たのでエッチな筋書きの電子コミックの内情について質問した。女性編集長は以下のような話を聞かせてくれた。
① 女性編集長が担当している電子コミックの読者の男女比は50対50。だけど彼女は「女性が読む。つまり女性が読者だと考えてください」という。
② 女性はエッチな漫画を読みたいが、書店のレジでカネを払うのが恥ずかしい。だから電子コミックを読む。つまり電子コミックは女性にとって便利なメディアだ。
③電子コミックは単価が安い。雑誌は1冊400円くらいするが、電子コミックは自分が読みたい漫画だけを50円とかで購入できるので、しまり屋の女性向きだ。
④そうしたこともあって、今は電子コミックの全盛だ。
なるほどそういうことか。このところ大手出版社などがこの分野で空前の利益を上げているとは聞いていたが、金の鉱脈とは知らなかった。
この女性編集長の話で一番面白かったのが、求めているストーリーの方向性だ。
「具体的にどのようなストーリーをご要望ですか?」
筆者が聞くと、彼女は迷いもなくこう答えた。
「ずばり、女性が不幸になる話です」
「不幸に?」
「ええ。風俗嬢さんなどが転落するような物語」
「誰が読むんです?」
「もちろん女性です」
「はぁ……?」
「女性は女性が不幸になる話を読んで『私はまだマシね』と安心したがるのです」
筆者は「そういうことか」と苦笑した。同時に子供だった1960年代に見た縁日の見世物小屋を思い出した。そこには両手の指がそれぞれ3本しかない女性がいて、「五体満足であれば皆さま方と同じように青春時代を楽しんでいたはずですが、このような体に生まれ……」というだみ声のオッサンの口上の中、紙切り芸を披露していた。「親の因果が子に報い」という言葉を知ったのはこの見世物小屋でだった。
それ以来、見世物小屋は貧しい日本人が「自分はまだ幸せだ」と思うための仕掛けだと思っていた。昔の同和差別に通じる日本人の魂の貧困の現れだと。
1950年代半ばに高度経済成長が始まったが、それでも豊かになれない人はいたし、怖いもの見たさの心理もあっただろう。だから見世物小屋は興行として存続し、人々のさもしい幸福感のために機能していた面がある。
だがその見世物小屋も最近は見かけない。筆者が最後に見たのは86年。靖国神社の夏祭りだった。映画にも出たことがあるお峰太夫が生きた蛇を食べていた。
まもなくして時代は変わった。バブル経済が始まり、日本中がマネーに狂ったのだ。人々は狂乱の豊かさを享受した。あるまでも印象だが、バブルの到来とともに見世物小屋が姿を消したような気がする。
しかし今の日本はアベノミクスの失敗で給料は上がらず、高齢者は年金を減らされている。円高による物価高騰で庶民は塗炭の苦しみである。
そんな貧困の時代だから、女性は見世物小屋の代わりに電子コミックの風俗嬢物語で「私はまだマシよ」とニンマリしたがっているのだろうか。それとも女性とは本来そうしたものなのか。よくは分からないけど、女性の体内には何やら黒い生き物が棲んでいるような気がしてくるのだ。