女性タレントのマンションに向かっていたとの情報を得たら…
芸能記者をしていたころ一度だけ「命を狙う」と脅されたことがある。1994年の夏だった。
この年の8月2日午前1時40分ごろ、ビートたけし(当時47歳)が交通事故を起こした。新宿区内をバイクで走行中、転倒して顔面などに大けがを負ったのだ。
翌日、世間は大騒ぎになり、筆者もすぐに入院先の東京医大病院に飛んでいった。ビートたけしサイドの会見には間に合わなかったが、発言の趣旨はライバル紙の記者から聞くことができた。
すでに「ビートたけしは女性タレントHの元に向かう途中だった」という話が伝わっていて、その日の早朝、Hの所属事務所のX社長が病院に見舞いに来たという。つまり愛人(ビートたけしはまだ離婚していなかった)と会うためにバイクを運転し、事故を起こしたことになる。
本当だろうか?
筆者は会社に戻り、裏事情に詳しい人に電話した。
「たけしはHのマンションに向かうところでしたよね。イエスかノーだけでいいから答えてくれませんか?」
彼はあっさりと、
「イエスだよ」
と回答した。
それで十分だ。筆者はワープロにスイッチを入れ、「原稿を書くぞ」と掛け声を上げた。
そのとき電話が入った。
「Xだけど」
相手は名乗った。Hの事務所の社長だ。筆者は仕事で何度か顔を合わせていたため面識があった。
「あ、ご無沙汰しております」
「ご無沙汰はどうでもいいよ。なんだって、ウチの子のことを書くんだって?」
「ええ。情報を確かめたものですから」
「こっちに挨拶がないじゃないか」
「原稿を書いてから、X社長に事実関係を確認しようと思いました」
「書いてもらうと困るよ。やめろよ」
「そういうわけにはいきませんよ」
「だからやめろって」
「いや。やめられません」
そんなやり取りが30秒ほど続いたあと、X社長が言った。
「おいこら。おまえ、右翼使ってつけ回すぞ」
おそらくⅩ社長は「ヤクザを使って」と言いたかったのだろう。だが2年前に暴力団対策法が施行されているため、その言葉はまずいと判断したようだ。意外に冷静だなと思った。
「社長、それって脅迫ですよ」
「脅迫でも何でもいいんだよ。おまえにも家族がいるだろ。おまえに何かあったら悲しむよな」
「ええ」
筆者はその4カ月前に結婚したばかりだった。妻の顔がちらりと浮かんだ。Ⅹ社長は続けた。
「俺はいいんだよ。独身だから、失うものはない」
「社長、やめましょうよ。その殺すみたいな言い方は」
「警察に通報したほうがいいんじゃないの?」
そんなやり取りをしていると、筆者の周りで他の記者たちが聞き耳を立て始めた。スポーツ編集部のデスクがじっと様子を窺っている。
「あなたが今言ってることは殺すという脅迫ですよ。捕まりますよ」
「だから言ってるだろ。俺は失うものがないから怖くないんだよ」
「社長はやはり裏社会と関係があるんですか」
「お前の会社だって関係してるだろ。マスコミなんだから。おたくの社長はヤクザとつるんでるんじゃないのか」
「うちの社長は早稲田を出た一般人ですよ。以前は講談社の社員。週刊現代の編集長でしたから」
「え、そうなの」
そんなやり取りで20分ほど経過すると、Ⅹ社長はしんみりとした口調になり、
「実はHのお母さんが心配して、彼女のマンションに詰めてるんだ。それくらい深刻なんだよ」
「だったらこうしませんか。お母さんが心配してマンションに寝泊まりしているという社長のコメントを30行くらい書きます。長めの反論です。それでどうですか?」
そのころはさしものⅩ社長も話し疲れたようで、最終的に、
「それでいいよ」
と納得してくれた。
「ではよろしく」
とⅩ社長は電話を切った。
例のスポーツ編集部のデスクが、
「なんだか穏やかじゃない会話だったね」
と心配して話しかけてきた。
「ええ。でも芸能界ですから、危ない人はいますよ」
「警察に通報したほうがいいんじゃないの?」
「まあ、そこまでする必要はないと思います」
平静を装って答えたが、筆者はもともと気弱な性格だから、正直、脅しは怖かった。背筋が寒くなる思いだった。
筆者は事故現場とHのマンションがいかに近いかを図で示すため地図のイラストを発注していたが、それは中止にした。Ⅹ社長をそれ以上刺激したくなかったからだ。
このⅩ社長はそれから10年くらいしてテレビのCMに出ていた。
「人を脅した人物がビールのCM出演。笑えるよね」
筆者は芸能記者らの飲み会でこう言って笑ったものだ。ただ、X社長とはその後も連絡を取り、取材に協力してもらったこともある。根はいい人なのだ。
八王子エフエムの放送はピー音だらけ
昨年1月、映画の本を出した。映画エッセイストの島敏光氏に1冊送ったら、
「僕のラジオ番組に出て本の宣伝をしない?」
との連絡をくれた。島氏はあの黒澤明監督の甥っ子として知られている。
都内のスタジオに行き、筆者と島氏、林寛子さんの3人のトークを収録した。林寛子さんはかつてのトップアイドルで、島氏とは親戚関係にある。その日はコロナを警戒してリモート出演だった。
映画の話をするものだと思っていたら、打ち合わせで島氏は「芸能記者時代の面白い話をして。危ない経験もしたんじゃないの?」といたずらぽく笑った。そこでⅩ社長の件を話したら「それはすごい」とニンマリし、その方向性に決まった。
本番では島氏が芸能取材についてひたすら質問し、寛子さんも話を盛り上げた。島氏は途中で寛子さんに、
「そのⅩ社長は寛子ちゃんも僕も知ってる人だよ」
と言い、寛子さんは、
「え~。そうなんですかぁ。誰かなぁ~?」
とびっくりしてさらに盛り上げてくれた。
収録が終わり、島氏が言った。
「この番組、長らくやってるけど、これほどピー音がたくさん入りそうな収録は初めてだ」
1カ月後にオンエアとなり、筆者も聞いた。たしかに危ない発言がピー音になっていた。というかピー音だらけ。八王子エフエムを聞いてる人は消化不良に陥ったのではないかと少し気の毒に思ったのだった。