石川さゆり「津軽海峡・冬景色」に見る阿久悠の天才性
「津軽海峡・冬景色」

感情表現が「さよならあなた 私は帰ります」だけの緻密な構成

数日前、朝日新聞夕刊の一面で石川さゆりが開業150年を迎えた日本の鉄道について語っていた。石川といえば、大ヒット曲の「津軽海峡・冬景色」だ。記事には石川がこの曲の想い出にも触れたくだりもあった。

「津軽海峡・冬景色」は1977年にリリース。もう45年になるのだと時の流れの早さに嘆息してしまう。筆者はこの曲がヒットしたとき、それほど感銘をうけなかった。単なる演歌にすぎないと。

ところがその後この曲をテレビで聞きカラオケスナックで他人が歌っているのを聞くうちに、阿久悠による歌詞の緻密さに気づかされた。今ごろ分かったのかと叱られそうだが。

「津軽海峡・冬景色」の優れているところは全体を情景描写で表現していることだ。「上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は雪の中 北へ帰る人の群れは 誰も無口で 海鳴りだけを聞いている」に始まり、ラストの「ああ津軽海峡冬景色」までほとんどが語り部の女性が見た情景である。「哀しい」とか「辛い」とか「寂しい」などという感情的な文言は一切含まれていない。情景で心情を描写しているのだ。

たとえば「こごえそうな鴎見つめ 泣いていました」。女が自分をカモメに置き換えて孤独と哀愁を表している。全体を通して訴えかけてくる冬の描写に、真夏に聞いても寒気を感じ取ってしまうほどだ。この一曲を聞くだけでも、阿久悠が天才だったことが分かるというもの。

では告白する女の感情の発露はないのかというと、一か所だけ見受けられる。「さよならあなた 私は帰ります」という一節だ。曲を聞いた人は厳寒の光景と人々の無口、凍えるカモメによって切ない情感を感じ取りながら2番のこの部分に到達し、事情を抱えた女が男と別れ、津軽海峡を渡っているのだと察知する。

おそらく女は北海道の出身で、失望の末に故郷に帰るのだろう。恋愛に破れたのか、それとも不倫に裏切られたのか。それは分からない。ただ、「さよならあなた 私は帰ります」の中には男と女のドラマがあり、女の魂の慟哭が漂っている。

何度も歌い何度も聞いているうちに、われわれの潜在意識の中で女がたどったドラマが展開。だから聞き終えた者の脳裏に余韻が残る。本来、演歌とはこうした婉曲表現の中で人の世の不条理や哀切を訴えかけるものなのだろう。

この曲がヒットしたのは77年。石川が19歳の年だった。音楽関係者によると、もともとこの曲は76年11月にリリースされたアルバムの一曲で、その前後から石川がコンサートで歌うたびに会場の観客受けがいいことが話題になり、所属事務所(ホリプロ)の関係者が「だったらシングルカットしよう」と提案。翌77年1月に発売されたという伝説が残されている。

それまでの石川は同じホリプロにあって森昌子、山口百恵らの後塵を拝していたが、この曲で一気にスターになった。77年12月に第19回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。筆者もテレビで授賞式を見ていたが、涙を流しながら「こんなに幸せでいいのかしら」と感激する石川の姿が印象的だった。

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