事務所に入り込んだ元ヤクザに殴られ、顔がボコボコに
「えっ、まだ期待してるの?」
NHKが年末の紅白歌合戦に中森明菜(57)を引っ張り出そうとしていると聞いてこう思った。番組の目玉にしようと期待しているそうだが、うまくいきますかいと首をひねっていたら、ここにきて番組担当者が明菜と連絡が取れなくなったという。
明菜は2017年末のディナーショーを最後に5年に渡って活動を休止している。その明菜を引っ張り出す前哨戦のように、NHKは今年4月「中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版」を放送。
明菜自身も8月に事務所を「FAITH」から「HZ VILLAGE」に変え、紅白を含めて復帰に前向きと見られていたが、結果は音信不通に。今月16日に発表された紅白の出場歌手に明菜の名前はなかった。明菜に逃げられた格好だが、それでもNHKは年末まで粘り強く交渉するという。
筆者は中森明菜のことはよく知らない。芸能記者をしていた80年代にテレビ局で見かけたことがある程度で、それほど明菜のニュースを見ているわけではない。だけど明菜は面白い。
明菜は1982年にシングル曲「スローモーション」で歌手デビュー。数々のヒットを飛ばし、「歌姫」として歌謡界に君臨したが、1989年に人生が一変した。この年の7月、交際していた近藤真彦のマンションで左腕の関節を刃物で切って自殺未遂騒動を起こしたのだ。
その後の明菜の転落ぶりは詳しく語る必要もないだろう。騒動の直後にデビュー時から所属していた研音を飛び出した。4年後にはレコード会社をワーナー・パイオニアからMCAビクターに移籍したが、それも長くは続かなかった。
事務所はコレクション、コンティニュー、NAPC、楽工房と作ってはつぶしを繰り返し、前述のように今年はFAITHからHZ VILALGEへと変わった。
いずれも明菜で儲けようという資本の論理によるものだ。分かりやすく言えば「明菜利権」。
そこにはさまざまな人たちが登場した。「文藝春秋」(21年12月号)によると、あるとき元山口組のスタッフが事務所に入り、明菜が仕事をすっぽかすや、マネジメント責任者のE氏をボコボコに殴り、E氏は目の周りが真っ黒になったという。
また「インディジャパン」なる会社が明菜のディナーショーなどの興行権を二重に売ったため大揉めしたこともあるそうだ。
明菜が売れっ子になってまもない82年ごろ、週刊誌が彼女の実家のある東京・清瀬に取材に行き、一年中、日の丸を掲げている家であると報じた。83年ごろ、明菜のコンサート会場のそばで自称親衛隊の男が特攻服に身を包み、一般ファンに暴行して逮捕されたことがある。男は「明菜に悪いムシがつかないよう見回りをしていた」と供述した。
当時、筆者はこうした半グレまがいの連中がつくのは明菜の危険な雰囲気に起因していると感じた。ツッパリ風のイメージに感化されたならず者の暴走だと。同じアイドルでも河合奈保子(80年デビュー)の周囲にはこうした不良が発生するはずはない。
「今日、明菜の機嫌はどう?」と聞いて高価なプレゼントを
一言で表現すると明菜はわがままな少女だった。彼女の肩を持つ関係者は「明菜は妥協を許さない完璧主義者だから」と擁護するが、そんな甘いものではないだろう。
85年のこと、音楽関係者からこんなことを言われた。
「明菜には周囲もピリピリしている。ワーナーの担当者なんか、レコーディングの際はスタジオに電話を入れて『今日、明菜の機嫌はどうだ?』と聞き、ご機嫌ななめと知るや、高価なプレゼントを買って行くそうだ」
現在も続く明菜利権の原型である。
明菜は17歳でデビューした。この年齢で親元を離れて暮らす場合、事務所が礼儀作法などの指導をするべきだろうが、明菜の場合はそれを怠ったように思える。つまり莫大なカネを生んでくれる少女をひたすらチヤホヤし、わがまま放題を許した。大人たちが資本の論理で、明菜利権に群がり、もともと明菜の中に眠っていた野放図な遺伝子を揺り動かしたとも考えられるのだ。
今から30年ほど前のこと。あるワイドショーのスタッフから、こんな話を聞いた。明菜の近況を聞くため取材スタッフとともに路上で彼女の実母を直撃したら、激高してあらぬ行為に走ったというのだ。
「いやぁ、ビックリしたよ。明菜のお母さんにマイクを向けて質問したら、『わたしだって、ウンチもオシッコもするんだからね』と怒鳴ってその場にしゃがみ込み、本当にオシッコしたんだよ。シャーッて」
「それ、放送したんですか?」
「できるわけないよ。カメラが回ってたから撮影はしたよ。だけどオシッコしてる姿をお茶の間に流せないだろ」
筆者はその現場を見たわけではないが、彼はウソはついていないと思う。母も激しやすいのだ。その母は95年に死去した。
このオシッコ事件を聞いたころ、「明菜がマネージャーを募集してるそうだよ」とレコード会社の友人に教えられたことがある。
「その給料がビックリなんだ」
「いくら?」
「300万円だって」
「年収?」
「月給だよ」
「へえ~、すごいね」
「キミ、面接を受けてみたら?」
「嫌だよ。神経がすり減って死んじまう」
と筆者は笑って拒絶した。それでもマネージャーが決まらなかったと聞いている。
大金のせいで家族はバラバラ
筆者が「明菜は面白い」と書いたのには理由がある。彼女の転落後の紆余曲折を見れば、日本の芸能界のブラックな面が見えるからだ。
明菜を利用して儲けようとする人々。前述したように、その集団の中にはヤクザもいれば、興行権を二重売りするやからもいる。ほかに芸能界と無縁な女性が明菜を取り込んでいたことも。筆者はその女性と電話で話し、「彼女(明菜)もやる気になってます。応援してあげてください」と頼まれた。長くは続かないだろうと思ったら、すぐに崩壊した。
明菜自身もひたすら放浪した。「味覚障害なのか、いつもタバスコを持ち歩いている」とか、「どこそこの店で暴れた」という噂が活字になる。彼女の真のファンは復活を願っているが、その一方でひたすら続く転落の軌跡を面白がっている風潮もある。
そもそも日本の芸能史でここまで長期に渡って凋落のドラマを見せつけたタレントはいない。豊川誕や田代まさし、田中聖が可愛く見えるほどだ。
明菜が稼いだ大金をめぐり、彼女と家族が疑心暗鬼になり、疎遠に陥っているといわれる。実際、実父や実兄はもう何年も明菜と会っていないと説明している。歌姫が歌って稼いだため、家族がバラバラになってしまったわけだ。また、明菜は実妹の明穂とも仲たがいし、その原因は明穂が芸能デビューしたからといわれる。
もし明菜にあれほどの歌唱力と美貌がなければ、どんな人生を歩んだだろうか。芸能界に進まない場合、普通のOLとして平凡に生きていったのか。それとも、やはりどこかで道を誤り、坂道を転落したのか。神のみぞ知ることではあるが、つい自問してしまうのだ。