のりピーと行った初めてのディズニーランド
13年前に起きた酒井法子(51)の逮捕劇には本当にビックリした。
2009年8月3日、彼女は夫の高相祐一が覚せい剤取締法違反で逮捕されたため逃走をはかり、5日後に警察に出頭した。逮捕状が出たとき、筆者は「何かの間違いでは?」と楽観的にとらえたが、夫婦のことだから一緒に使った可能性は否定できないとも考えた。
酒井法子には想い出がある。
筆者は1986年に初めてディズニーランドに行った。記者として酒井法子の取材に同行したのだ。一緒に行ったのは酒井法子とそのマネージャー、カメラマン2名の計5名だった。
酒井法子はデビュー前の15歳。小学生のように純真で愛くるしかった。当時はまだ「のりピー」という呼び名はなく、筆者は「のりちゃん」と呼んでいた。
のりちゃんもディズニーランドは初めてで、園内に入ったとき興奮して駆け出した。恥ずかしながら、筆者ものりちゃんと一緒に走っていた。
取材だからオリエンタルランドの広報担当者が付き添い、行列に並ばずに乗り物に乗せてくれる。筆者も一緒にゴーカートに乗ったりして楽しませてもらった。
レストランで食事しているとき、のりちゃんは広報の人にディズニー開園の経緯を聞き、
「みなさんは私の恩人ですね」
と言った。オリエンタルランドの人たちのおかけでディズニーを満喫できたと、広報の人に感謝を表したのだ。
取材が終わると夕方で、空にはうっすらと星が出ていた。「今の感想は?」と聞くと、
「私、ディズニーランドの星になります」
と空を見上げて答えた。ディズニーランドにすっかり魅了された様子だ。
筆者が担当していたのは旺文社。のりちゃんはライバル社・学研のキャンペーンガールに決まったため仕事の関係は弱まった。たけど、その後も何度か顔を合わせた。
ある会見でのりちゃんがひな壇の真ん中に座った。記者席の筆者が身を乗り出すとのりちゃんと目が合い、彼女は「あれっ」と声をあげてこちらに小さく手を振った。
元ヤクザの実父が自ら命を絶ったとのウワサも
89年、のりちゃんの実父・酒井三根城さんがクルマを運転中に事故で死亡した。筆者は事務所に香典を届けた。
のちに三根城さんの死について「実は自殺ではないか」との憶測が流れた。三根城さんは元ヤクザで、自分がいると娘に迷惑がかかると思い、自ら事故を起こして命を絶ったというのだ。彼がヤクザだったことは事実だが、筆者はそこまでやるはずはないと思った。
芸能界では人が亡くなるとこうした奇妙な噂話が流れる。歴史を無理くりにつくる人間がいるのだ。岡田有希子の自殺のあとに流れた噂話を本欄の読者もご存じだと思う。
92年のある日、六本木の青山ブックセンターで本を見ていたら、のりちゃんによく似た女の子とすれ違った。まさかこんなところに1人でいるはずがないと思ってそのまま歩いていたら、背後から「こんにちは」と声をかけられた。
「やっぱりのりちゃんか。一人でいると誘拐されるよ。早く帰りなさい」
と言うと、
「はい、ありがとうございます」
と答えた。
94年のこと。隠し子騒動のデーモン木暮が会見し、その取材の帰りに週刊文春と東スポの記者とカフェにいたら、隣の席の女子グループに酒井法子に似た女の子がいる。
筆者は目が悪いので両記者に、
「ほら、酒井法子がいるよ。ほらほら」と冗談を言っていたら、本物だった。
「こんにちは」
のりちゃんは筆者に声をかけた。ビックリして立ち上がり、
「えっ、本物ののりちゃんだったの」
と言うと、
「そうですよ、私ですよぉ」
と口をとがらせている。
「ごめんごめん。そっくりさんだと思った」
と謝り、ディズニーランドの想い出話を少しした。一緒にいるのは同級生の女の子たちだという。
筆者は2人の記者をのりちゃんに紹介し、
「この2人に追いかけられないよう気をつけて」
と言った。のりちゃんは、
「はい」
と苦笑いした。すでに脚本家・野島伸司との交際宣言をしていたからだ。
筆者がのりピーと話しているのでそばにいた東スポのH記者は、
「すごいですね。のりピーと友だちですか」と笑っていた。
偶然とはいえ、よくのりちゃんと会うなぁと我ながら感心した。
それから年月が経過して、のりちゃんは逮捕された。あんな素直な子が薬物をやっていたなんて、まことに世の中は分からない。
のりちゃんが薬物を使ったのは夫の高相にそそのかされたからだろう。その高相と彼女がくっついたのは野島との破局が原因と考えていい。
93年11月、野島との熱愛が発覚するや、のりちゃんはきちんと会見し、野島を「とても誠実な人」と評して交際を認めた。だが、いつしか破局。その心のすき間に高相が入り込んでしまった……。
のりちゃんは犠牲者だとまでは言わないが、もし野島と一緒になっていたら、あんなことにはなっていなかっただろうと思う。他人事ながら残念だ。
マネージャーはトイレで首つり
のりちゃんが逮捕される前日、失踪した彼女を心配して、所属事務所サンミュージックの相澤正久社長が会見を開き、
「一刻も早く出てきてください! それだけです」
と、どこにいるか分からないのりちゃんに訴えかけた。
相澤社長の胸中には「自殺」の2文字があったはずだ。実は筆者も自殺を懸念していた。というのも、過去にサンミュージックは2人の自殺者を出していたからだ。
86年に歌手の岡田有希子が事務所のビルから投身自殺。2000年には岡田有希子の元マネージャーでその後酒井法子を担当していた溝口伸郎マネージャーが事務所のトイレで首つり自殺を遂げた。
岡田有希子と元マネージャーの相次ぐ自殺。さらに酒井法子が失踪したため、相澤社長は3人目を恐れたのだ。筆者も「思いつめて命を絶つのでは」と案じた。溝口マネージャーが岡田有希子と酒井法子の両方に仕事で絡んでいたことも大きかった。
ただ、その心配は杞憂に終わった。前述したように酒井法子は出頭し、身柄を確保された。その後の裁判で懲役1年6カ月、執行猶予3年の有罪判決を受けたことはご存じのとおりだ。
それにしてもである。岡田有希子と元マネージャーが命を絶ち、今度は酒井法子が逮捕。負の連載と言えようか。
この3件の事件には必然とも言える因果関係があったと筆者は考えてきた。それを語ると長い。いずれ本コラムで書いていきたいと思うのだ。