高橋治之との関係が浮上した小柳ルミ子の純愛時代
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高橋治之との関係が浮上した小柳ルミ子の純愛時代

「大澄賢也と結婚する前の小柳ルミ子や、かたせ梨乃と浮き名を流し、都心のホテルやバーで逢瀬を重ねているところを目撃されていましたね」
これは最近のデイリー新潮の記事からの抜粋だ。五輪疑獄で逮捕された高橋治之の女性関係について広告関係者がこのような証言をしているという。かたせ梨乃は置いといて、高橋と小柳が深い仲だという噂は筆者もかなり前から聞いていた。小柳が13歳年下の大隅賢也と結婚したのが1989年。この年はバブル経済の最盛期で年末の日経平均は3万8915円をつけた。これ以降、株価は急落した。
この時期のバブル経済の申し子ともいえる存在がイ・アイ・イ・インターナショナル社長の高橋治則(故人)、高橋治之の実弟だ。ご存じのように兄は電通の幹部、弟はバブル紳士。2人が恐ろしいほど羽振りがよかったことは言うまでもない。兄の治之はその資金力と人脈で芸能タレントにも触手を伸ばし、小柳ルミ子をものにしたとされる。
「2人でお金を使いまくってる」
こんな噂を耳にしたこともある。
その後、小柳は自分の幸せを求めて無名のバックダンサーの賢也と愛情関係になった。小柳は1952年生まれ、大隅は1965年生まれ。13歳違い。当時では珍しい年の差婚である。
2人は結婚式の恒例行事のキスの儀式で衆人環視のもとディープな口吸いを見せつけて日本中を赤面させた。また2人でダンスを披露した。後日小柳はメディアの取材を受け、躍る直前に大隅から「愛してる」と耳元で囁かれて感激したと語った。うろ覚えだが、失神するほどの喜びで頭の中が真っ白になったというような感想だった。テレビのトーク番組に出演したときは「彼に愛してるもらってるから」とおのろけを放った。37歳の女がたどり着いた究極の愛である。
ところが2000年、2人は破局した。このときは大隅のほうから別れを言い出し、小柳がある要求を言い放った。要求とは、
「別れるなら条件がある。1億円払うか、あるいは無名のダンサーに戻るか。どちらかを選べ」
というもの。
大隅は1億円の支払いを選んだとされている。
このことから分かるように大隅が小柳から脱走し、小柳は未練タラタラというわけだ。世間は「1億円よこせ」発言などを受けて、小柳に反発した。
「年下の男といい思いしたんだから、そこまでしなくてもいいんじゃな~い?」
「賢也くんはそろそろ巣立ちの時なのよ」
と世の女性たちの視線も冷ややかだった。
その当時、筆者は芸能マネジャーと小柳&賢也の話になった。彼は苦笑して、
「小柳が賢也に固執したのには理由がある。生涯で初めての純愛だったからだ」
と説明してくれた。
小柳は宝塚の出身。幼くしてスポンサーが付くショービジネスの世界で揉まれて育ち、30代で高橋治則と出会った。
「高橋とはカネまみれの恋愛だった。あくまでも相手が羽振りがいいから関係が生まれ、消滅したに過ぎない。だが賢也は違う。小柳にとって、自分がヒナから育てた可愛いお稚児さんだ。金銭は介在しない。まさに人生で初めての純粋な愛。だからディープキスに走り、『愛してる』で頭が真っ白になった」
ところが賢也は逃げ、小柳は「大金の慰謝料か、それとも無名に戻るか」と迫った。これについてマネジャーの解説。
「まず『無名にもどれ』は私があんたを育ててあげたのだ、恩を知れという一種の腹いせ。1億円はいかにも小柳らしい。彼女は高橋治之との関係のように、常に欲得絡みの男女関係を続けてきた。物事の尺度は金銭の多寡でしか考えられないのだろう。だからカネを払えとなった。もちろん高額の条件を突きつければ賢也が戻ってくるかもという一縷の望みもあっただろうけど、やはり自分の愛情を数量に換算するしかなかったようだ」
賢也はあくまでも小柳を利用してジャンプし、羽ばたいて行った。日本中がいずれそうなるだろうと予測していた。ただ小柳だけが予想できなかった。2020年、小柳は新型コロナのせいで仕事が激減したため「引退も考えた」とテレビで語った。一人で生きていくのは心細いのだろう。誰か頼りになる熱愛の対象の男がいればいいのだが。
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