なぜ急死が9カ月間も伏せられたのか?
死者を冒涜するつもりはないが、俳優・志垣太郎(享年70)の死はやはり謎めいている。
今年3月5日に遠征先の佐賀県で死去。9カ月後の今になって長男でタレントの匠がツイッターで報告した。死因を心不全とし、「いつも元気だった父に起きたあまりに突然の出来事であり、私と母は現実を受け止めることができない状況が続いておりましたがゆえ、発表が遅れてしまいました」と説明している。
70歳の病死という現実を受け止めるのに9カ月も要したのか。そんな疑念も浮上し、ユーチューブなどで「自殺ではないか」との声が上がっている。
志垣太郎を初めて見たのは森田健作主演のテレビドラマ「おれは男だ!」(1971~72年)だった。高校生ながらバーを経営し、トランペットを吹くクールで屈折したキャラを演じていた。良くいえば、ジェームズ・ディーンのようだった。
筆者は当時中学生だったが、彼のマスクに少し違和感を覚えた。バタ臭い顔立ちなのだ。両目と眉が西洋人のように接近。笑うと南米人に見える。どこか日本人離れしたルックスだった。
当時、日本ではチャールズ・ブロンソンがブームだった。70年にマンダム(当時の社名は丹頂)のCMが話題になり、老いも若きも子供も、そして赤ちゃんまでが「う~ん。マンダム……」と言ってブロンソンの真似をした。ブロンソンはバタ臭い顔の代表選手だった。
そんな時代だから、志垣のエキゾチックな顔も大衆に受け入れられた。平均視聴率21%台の人気ドラマ「おれは男だ!」のチャンスに恵まれたことも大きい。役者としてラッキーだった。
後年、筆者は米国俳優サム・ニールの顔に志垣との共通性を感じた。ハンサム顔として同じ系統なのだ。今の時代に志垣がデビューしてもあそこまでの売れっ子にはならなかっただろう。何度も言うがラッキーだった。「おれは男だ!」で稼いだ人気の余熱が続いたおかげで、その後も仕事がしばらく継続したように思われる。
複数の人からそれぞれ数百万円の借金
発売中の女性セブンによると、志垣は一時は東京ベイエリアの高級タワーマンションに住み、外車を収集。40代までは「ザ・芸能人」といえるような華やかな生活を送っていたという。
ところが50代に入って仕事が急減。PR誌のインタビューのような地味な仕事が多くなり、周囲の人たちに「まとまったお金を貸してくれないか」と連絡するようになった。
その結果、複数の人からそれぞれ数百万円を借りていた。住まいは4年前にタワーマンションからグレードを下げたマンションに移し、家賃は半額になったという。
大ヒットドラマ「半沢直樹」(13年)は第1話に出たきりでひっそりと降板。監督の怒りを買ってしまったからだと報じられている。
一時は人気番組「噂の東京マガジン」にレギュラー出演していたが、それも14年に降板した。この番組を志垣はそつなく務めていたが、気の利いたコメントしたという印象はない。情報番組の主演者としては面白くないというのが筆者の印象だった。
彼は特定の人に受ける二枚目マスクで、これといった特徴のないタレント性を押し通した。現代の芸能人としては不器用なのだ。
8年前に「東京マガジン」の仕事をなくし、それでもタワーマンションに住み続けた。ウン百万円の借金をし、4年前に都落ちのように手狭なマンションに引っ越して今年3月に死亡。遺族はその死を発表しなかった。その結果、自殺説が浮上したことになる。
芸能人、ことに売れっ子として注目された人は過去の栄光を忘れることができない。だから派手な暮らしを求める。自分の置かれた環境をうまく理解できないのだ。
だが現実は深刻だ。だから悩み始める。こうした芸能人は少なくない。借金のことを含めて、彼は芸能界の魔手にからめ捕られてしまったのではないか。
夏木陽介も森川正太も死んだ
志垣が「おれは男だ!」に出たころ、テレビ界には青春ドラマという分野があった。夏木陽介主演「青春とはなんだ」(65年、日本テレビ)、竜雷太主演「これが青春だ」(66年、日本テレビ)、村野武則主演「飛び出せ!青春」(72年、日本テレビ)、中村雅俊主演「われら青春!」(74年、日本テレビ)など。
学園が舞台ではないが「俺たちの旅」(75年、日本テレビ)も中村雅俊、田中健、秋野太作、森川正太らによる青春ものだった。これら6作品はすべて日本テレビ系で放送された。
出演陣のうち夏木陽介は2018年に81歳で死去。森川正太も20年に67歳で亡くなっている。
田中健(71)は役者業よりもケーナ奏者として知られるようになり、マラリア感染でニュースになったことも。99年に古手川祐子と離婚、その後再婚している。
若かった青春スターも老境に入り、竜雷太はすでに82歳だ。村野武則77歳、中村雅俊71歳、秋野大作79歳である。
こうして振り返ると、一番おいしい思いをしたのは御年72歳の森田健作だろうか。92年に社会党など野党の推薦を受けて参院選で当選。94年に自民党に寝がえり、98年には衆議院議員に。09年に千葉県知事に就任した。
森田と志垣は「おれは男だ!」つながり。芸能界と政界を要領よく生き抜いた森田と、不器用な生き方で自殺説が囁かれる志垣。人生いろいろである。