「公安は帰れ!」と怒鳴られた 国葬の日の半蔵門→九段下見学報告

「右翼とトラブルになってるそうです」と警官が連絡

1945年9月27日、焦土と化した東京である会談が行われた。米国大使館で昭和天皇とマッカーサーが面会したのだ。当時の新聞はこれを「世紀の会談」と報じた。
このときに撮られたのが直立する天皇の隣でノーネクタイのマッカーサーが腰に手を当てている写真。会談が始まる前に撮られたもので、日本人は2人のポーズの違いに「日本は本当に戦争に負けたのだ」と実感したと言われる。
それから77年後の今年の9月27日、日本武道館で安倍晋三の国葬が執り行われた。「日本は戦争に負けた」という記念日にである。筆者には分からないが、バリバリの右翼論者には「日本はあの戦争で負けてはいない」と主張する向きもいる。ということは彼らにとって9月27日は、天皇が連合軍に屈した屈辱の日なのだろう。右翼勢力にとっては気分の良い日ではないはずだ。
そんな日に右翼政治家の代表者ともいえる安倍晋三の国葬が行われたとは皮肉な話。突き詰めて考えると、岸田文雄は目の上のたんこぶだった安倍の葬儀をわざとこの日を選んだのではないかという勘ぐりも浮かんでくるのだ。
それはともかく、筆者は9月27日午後1時30分に半蔵門駅に到着。国葬会場の武道館に続く献花の人々を見学した。長い行列ができていた。警官に聞いたら「ヘビがとぐろを巻くように行列を誘導しています」という。警察は混雑を回避するために人を道に沿って長々と並ばせている。行列が武道館周辺までジグザグに続いているのだ。
花束を持ってのろのろと進む人たちにくっついていたら、いつ献花台に到着できるか分からない。そこで行列を追いかけるように早足で歩いた。
「安倍晋三の国葬は税金で行われています。これは税金の無駄遣いです」
50歳前後の長身の男が歩道の端に立って行列に訴えかけている。だが献花の安倍ファンは苦笑するばかり。
それにしても、どこまでいっても行列が続いている。途中で2カ所ショートカットしたが、それでも千鳥ヶ淵の入り口まで45分かかった。その間、警官数人が集合している箇所に立っていたら、一人の警官がトランシーバーで連絡をしている声が聞こえた。
「どうやら右翼とトラブルになってる人がいるみたいです。心配して連絡してくれた人がいるんですよ」
さっきの男かなと思った。
千鳥ヶ淵を歩く。戦没者墓苑の前を歩きながら、国家の侵略戦争による犠牲者に手を合わせる。そして進む。
献花台に着いたのは半蔵門から歩き始めて55分後。ショートカットしなかったら70分はかかったはずだ。ということは行列は7キロくらいだろうか。献花の行列に交じってのろのろ移動したら、3時間はかかっただろう。
献花台が近づくにつれて、マイクで何かをしゃべるスピーカー音が聞こえてきた。本日は国葬反対集会に加わろうと思って家を出たため「早く献花台を見て、集会に参加しないと」と気持ちが焦る。皇居の内堀を背にした献花台の前には大勢の係員がいて、
「写真は撮らないでください」
と繰り返している。「合掌もご遠慮ください」との声も聞こえる。スマホを構えた人を係員が「撮らないでください」と要請するが、当人は「はいはい」と言いながら悠然とシャッターを切っている。
道を渡って九段坂を下り、毎年、8月15日の敗戦記念日にネトウヨがアジっている交差点を到着。ここに反対派がいるのかと思ったら、この界隈でよく見かけるネトウヨたちが「安倍さんは立派な政治家だった」「人の葬式を妨害するとは何事か」と反対派を指差して罵っている。まもなく若いネトウヨ女性と野次馬らしき男が衝突し、つかみかかりそうなムードに。警察が両者の間に入ってなだめた。ヘリのエンジン音やネトウヨのアジテーションに声がかき消されて、険悪な2人が何を言ってるのかは聞き取れない。国葬反対派と安倍礼賛のネトウヨの対立だろうか。両者の火花は一旦は沈静化したが、まだ一触即発の気配だ。
ここのはす向かいに渡ると反対派が声を上げる一角がある。すぐ目の前だから参加しようと思ったら、警官から「あそこに行くにはこう回ってください」と手で指示された。大通りを渡って神保町駅方面に歩いてから、また歩道を渡ってこちら側の歩道にたどり着き、そこから歩いてこの周辺に戻ってこいというわけだ。遠回りしなければ反対集会に辿り着けないとは理不尽な話。まあ、警察は敗戦記念日でもこの周辺で同じことをやっている。毎度のことだ。

やっと反対派にたどり着く

時間をかけてぐるりと回り、やっと反対派のブロックに着いた。ゆっくり人をかき分けて進む。若者から高齢者まで幅広い層が集って「国葬反対!」のシュプレヒコールが繰り返される。「自民党をぶっつぶせ~!」という女性の叫び声が心強い。「中核派」と書かれた白ヘルをかぶった大学生も数人いる。警察がクルマの上から「こちらは麹町警察です。ただちに解散しなさい」と警告するが、反対派は無視だ。
集団の中でしばらく叫んでいたら、ぎっくり腰が痛くなった。そこで集会から離れ、歩道に腰を下ろし「今日はかなり歩いたなぁ」と自分をホメつつ休んでいると、出版社に勤めていた知人から「佐野眞一が亡くなった。俺は彼とサークルの仲間だった」とのショートメールが。筆者が「オラはいま、国葬反対デモにいます」と返信すると「それは素晴らしい。逮捕されないよう気をつけろ」とアドバイスされた。
しばらくすると反対派の面々が集会を終えて移動し始めた。どこに行くのかを見極めようとついて行ったら、徒歩7、8分の小さな公園へ。一同はここに集合したが、何か申し送りをする様子もなく、のどかに談笑している。
すると入り口のあたりで60代とおぼしき2人の男が何やら口論しているのが見えた。近づくと自撮り棒にスマホを装着し、左腕に「報道」の腕章をはめた男に、集会参加者が「勝手に撮るな」と詰め寄っている。参加者がスマホにさわろうとすると報道男は「触るな。これは俺の商売道具だ!」と怒声で反撃。周囲にいた警官数人が彼を引き離す。すると、
「逃げるのか!」
「逃げるわけないだろ!」
とまたも両者は接近。結局、警察になだめられて報道男は去って行った。怒鳴っていた参加者に事情を聞いたら、報道男は在特会系の人物でヘイトスピーチをやっているのだという。映像を撮るスパイと見て警戒しているようだ。
ここから集団が再び移動を開始。筆者は流れに従ってついて行く。途中で学生だけの集団とオジサン軍団に分離された。学生集団の中にぽつんと立っていたら、リーダー格の若者から「公安は帰れ!」と数回怒鳴られた。筆者が「オラは公安じゃないよ」と言うと、彼はやや納得した様子。それでも、その後の移動の際も筆者がついてくるのでチラチラ見ている。
こちらはスパイではなく、反対派のシンパのつもりだ。彼らがこの先何をするのか興味があったのでさらについて行くと、さっきの学生が筆者を指差して隣の学生に何やら耳打ちしている。耳打ちされた学生が近づいてきたので、「何度も言うけど公安じゃないよ」と説明すると、彼は自分の名刺を差し出して、
「何かお持ちですか?」
筆者は自分の名刺を渡して質問した。
「これから打ち上げの飲み会ですか」
「ええまあ、そんなとこでしょうか」
「新宿で飲むんですか」
「さあ、どうでしょうか」
彼はのらりくらりとかわす。まぁ当然である。
「次の集会も参加したい」と告げると、
「日時などはホームページにあります」
とのこと。今後はホームページをチェックしよう。
岸田文雄が安倍派のご機嫌を取るために打ち出したごり押し国葬は、おそらく100年に一度の世紀の愚行。この日、家でのんびりせず、献花の群衆の道筋をたどったのは正しい選択だった。「公安は帰れ!」と怒鳴られたことも良い思い出になりそうだ。

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