マンションに倒れている死体が見えた
友人からスマホに着信履歴があったが、忙しいのでコールバックを後回しに――。誰もがこんな経験があるはずだ。筆者などはうっかりして2日後にやっと電話を返すなんてことがしょっちゅうある。
ところがこうした怠惰をすると命取りになりかねない。というのも筆者の友人のM君がある騒動の当事者になったからだ。一人暮らしの高齢者は日ごろから小まめに返信しないと命を落としかねないという教訓めいた話を聞いた。
2021年の11月、M君はQさんという漫画家の自宅に電話した。Qさんは70代の男性で、千葉県内のマンションで一人暮らし。月刊誌の連載を持っている。
Qさんが携帯もスマホも持っていないため、M君は固定電話にかけた。「最近どうしてる?」と世間話をしようと思ったのだが、Qさんは電話に出ない。
そこで「Mです。またかけます」と留守電を入れた。午後3時ごろだった。
3時間後、M君は2度目の電話をかけたが、それでも出ない。彼は変だなと思った。というのも、Qさんは留守電を入れると必ず2、3時間後に電話を返してくれるからだ。それなのに今日はうんともすんとも言ってこない。その後も何度かかけたが、状況は変わらなかった。
翌日の午後3時、もう一度電話したが、聞こえてくるのは相変わらず留守電の音声だ。
「これは何かが起きた」
M君は胸騒ぎを覚えた。というか異変を確信した。
すぐに自宅を出発し、Qさんのマンションに到着。15階にあるQさんの部屋のチャイムをピンポンしたが出てこないので、1階に戻った。日曜日のため管理人室は無人だが、管理会社の連絡先を記した張り紙がある。そこで張り紙の電話番号にかけた。だが音声ガイダンス通りにボタンを押してもダメ。途中で通話がプツンと切れてしまうのだ。
仕方ないので徒歩10分の交番まで行き、警察官に、
「知人が室内で倒れているかもしれません」
と事情を説明した。
先にマンションに戻っていると、まもなく警察官2名が到着。彼らも管理会社の連絡先に電話したが、途中で切れてしまう。
そこで警官の一人がQさんの部屋の隣室の住人に頼んで室内に入れてもらい、ベランダからQさんの部屋を覗いた。彼は通路にいるM君のところに戻り、
「カーテンのすき間から、人が倒れているのが見えます。それと……」
と声を潜めた。
「死臭が漂ってますよ。部屋の外までこんな匂いがするのは亡くなっているからだと思われます」
つまり、もう死んでいるというのだ。
警官に頼んでレスキュー隊を呼ぶことにした。すでに午後4時を回っていた。
レスキュー隊の到着まで2時間も
ところがレスキュー隊が到着するのに2時間もかかった。その間、M君と警察官はひたすら待った。
2時間後にレスキュー隊が到着。一人の隊員が玄関ドアの横の小窓をハンマーで叩き割って中に入り、他の隊員を室内に入れてQさんの様子を見た。
M君は胸がドキドキした。知人の死体に直面しなければならないからだ。
だが結果は朗報だった。
「生きてます!」
レスキュー隊の声が通路に響いた。室内の床の上に倒れているが、まだ息をしているというのだ。M君は安堵した。とはいえレスキュー隊が開いたドアからはやはり死臭が漂ってくる。
しばらくしてQさんが担架代わりの毛布にくるまれた格好で運び出された。かろうじて意識があるようで、エレベーターの前に立っているM君に「すまなかったなぁ」と弱々しく声をかけた。レスキュー隊から、M君が様子を見に来て異変に気づいたとの説明を聞いたようだった。
こうしてQさんは午後8時過ぎに千葉・本八幡の病院に送られた。M君がマンションに到着してから4時間以上が経過していた。ちょうどコロナが流行していたため、空いているベッドが少なく、受け入れてくれる病院を見つけるのに少し手間取ったという。
Qさんは家族がいないためM君が救急車に同乗した。その際、レスキュー隊の隊員に、
「こうした場合、普通なら亡くなっているはず。命が助かったのは本当に珍しいことです」
と言われた。警察官も、
「奇跡に近い」
と感心していたそうだ。
以上の経緯でQさんは一命を取り留めた。
前述したように、Qさんは月刊誌の連載を抱えていた。月刊誌はサイクルが緩やかだから、担当編集者は頻繁に電話をかけてこない。M君がいなければ発見はずっと遅れただろう。
Qさんにとって幸いだったのは、彼がM君に必ずコールバックするよう習慣づけていたことだ。だからM君は一大事を予測してマンションに駆けつけた。その結果、命が救われたことになる。M君は命の恩人だ。
60歳以上の一人暮らしの人や、高齢の親と離れて暮らしている人はこのケースを参考にしたらいいだろう。
死臭は漏れ出た糞尿だった
Qさんは何が原因で倒れたのか。M君はこう説明する。
「原因は不整脈で、血管に水が溜まっていたそうです。病院によると、以前から足に水泡ができ、心臓の周りにも水が溜まっていた。Qさんは手首ほどの太さの注射器で背中から心臓の周りの水を抜いてもらいました。真っ黄色の水が吸い取られたとか。これに血が混じっていたら手術だったそうです」
また、警官がかいだ死臭は糞尿の匂いだった。
「Qさんは意識がもうろうとする中、部屋着のままウンチとオシッコを垂れ流したようです。その匂いが室内に充満し、ベランダの外にも漏れていた。本人は電話のコール音は聞こえたらしく、『意識が遠くなるたびにキミの電話でこの世に引き戻された』と言ってました」(M君)
今回の騒動でM君はこうした場合の舞台裏をいろいろと見聞できた。そのひとつが鍵屋だ。
警察官は当初、鍵屋を呼んで玄関ドアを開けてもらおうかと提案。ただし「その場合、鍵屋の費用はMさん、あなたが出すことになります。いいですか?」とカネの話になった。
さらに警察官が「最近は鍵屋でも開けられない鍵があります。もしこの部屋の鍵がそれだったら、業者を呼んでも無駄になりますが」と言ったため、M君は「レスキュー隊をお願いします」と要請した。
レスキュー隊を呼び、2時間待っている間、警察官は「窓を壊すより、クレーン車に来てもらったほうがいいかな」などと話しかけてきたという。
30分も保険証を探すって……?
Qさんは救急車に運ばれたが、すぐに出発したわけではなかった。レスキュー隊は部屋に戻り、「ええっと……Qさんの保険証はどこかな?」としばらく探していた。
「それこそ30分も探してやっと見つけました。24時間以上倒れた人を救急車で運ぶというのに、そんなに保険証が大切なのかと呆れました」(M君)
途中で30代とおぼしき警官が現場に到着。この男が身長2㍍近いプロレスラー体型で、強面をこちらに向けてずっとM君を睨んでいた。このプロレスラー君はM君に事情聴取し、M君が「毎日、Qさんに電話してます」と言うと、
「あんたはさっき『たまに電話する』と言ったじゃないか。話が食い違ってるよ」
と問い詰めてきた。
「なんだか犯罪者扱いされた気分。そのプロレスラー警察官が怖くてビビりました」
60代のM君はいまだにプロレスラーによるトラウマを語るのだった。