30年前のアイドルテレカ全盛時代 中江有里に1枚30万円の高値がついた裏事情

アイドルに「趣味はテレカ」としゃべらせ、マネージャーががっぽり

最近、関係している作家の親睦団体の会員に、元アイドルおたくの男子が2人いることが分かった。これまでは会合後の飲み会でも彼らとは挨拶程度の会話だったが、かつての芸能記者&アイドル追っかけという共通項が見つかったものだから、最近は会うたびに80年代の芸能界の想い出話に花を咲かせている。

筆者がアイドル取材をしていたのは1985年から。20代後半から33歳までだ。彼ら元アイドルおたくはすでに50代だが、当時はまだ高校生で、お目当ての芸能人に1㌢でも近づくことに血道を上げていた。

筆者を含めた3人の会話に大手芸能プロ社員のK君も加わり、会うたびに「岡田有希子はなぜ死んだのか?」とか「国生さゆりはわがままだった」などで盛り上がっている。周囲の迷惑顧みずである。

筆者とK君が2人の質問を受け、当時のアイドル戦線について解説することが多い。若いころの体験を語ると人間はアンチエイジングになるようだ。筆者もK君も全身が活き活きと蘇る感覚を覚えている。

そんな中、思い出したのがテレホンカード。思えば80年代はテレカの時代だった。

当時のテレカブームでおいしい思いをしていた人たちがいる。誰あろう、芸能プロのマネージャーたちだ。彼らは大量のテレカをタダで入手し、それをプレミアショップに持参して売りさばいていた。

マネージャーたちはなぜ、元手もなしにテレカを手に入れることができたのか。

からくりは簡単だ。まずは自分たちが担当している人気タレントに「テレカのコレクションは楽しいよ」と吹き込み、タレントをテレカのコレクターにする。その上でタレントが「Momoco」や「DUNK」など当時無数に存在したアイドル雑誌の取材を受けた際に、
「最近、テレホンカードのコレクションにハマってま~す」
としゃべるよう誘導する。

するとどうなるか?
全国のファンが「プレゼントです」とファンレターにテレカを同封して送ってくるのだ。女性タレントのほうが効果的で、男子のファンはどちらかというとお人好しだから、我も我もと送ってきた。

マネージャーはそうしたファンレターをタレントが読む前に開封してチェックする。これは危険物が入っていないか、手紙の文面がタレントを傷つける内容でないかをチェックする通常の業務だ。

その業務の際に、マネージャーはプレミアのついていそうなテレカを抜き取る。それらのテレカをこっそりテレカショップに持ち込んで売却するのだ。当のタレントの手に渡るのはあまり価値が高まりそうにないテレカということになるだろうか。

93年のこと。当時20歳だった中江有里のテレカに1枚30万円の値がついて話題になったことがある。あるテレカショップが売り出したのだ。まだネットのない時代である。

よく覚えていないが、その年あたりがテレカブームのピークだったと思う。西村知美の人気が高く、500円のテレカが1万円以上した。

筆者はアイドル記者ではなかったが、夕刊紙の芸能部に所属していたため、そのショップに出向いてオーナーを取材した。
「中江有里に30万円。そんなに人気があるんですか?」
と聞くと、その若きオーナーは、
「実はあれ、僕が実験的につけた値段なんです」
と少し拍子抜けする答えを返した。

つまり中江有里のテレカに30万円の値をつける根拠はなく、近ごろ西村知美を凌駕する勢いでテレカ人気を高めている中江有里に30万円の値をつけて世間の反応を見たというわけだ。あっさりと事実を明かしたオーナーに、筆者は好感を抱いた。

せっかく取材に来たのでテレカ市場についていろいろ話を聞いた。その中で興味深かったのが、
「先日、芸能プロⅩ社のマネージャーが2人、大量のテレカを持ってきましたよ」
という話だった。

詳しく聞くと、彼らは前述した要領でテレカを全国のファンから集め、このテレカショップに持ち込んでカネに換えたという。偶然にも持ち込んだマネージャー2人は筆者の知り合いだった。
「マネージャーという仕事は余得が多くてうらやましいですね」
とはそのオーナー。

会社に戻ってから「中江有里のテレカ 30万円のからくり」というようなタイトルで記事にした。とはいえ30万円が観測気球だとまでは書かなかった。オーナーが「ここだけの話ですが」と教えてくれた内緒話だったからだ。

この記事は反響があった。その夜から「私も持っている。そのショップに売りたいので電話番号を教えてほしい」という男性読者からの電話を数本受けた。

記事にはマネージャーの余得のからくりにも触れておいた。もちろんどこの事務所の誰とは明記せず、テレカブームの裏でこんなことが行われているという内容だ。

後日、そのマネージャーと別件で電話打ち合わせをしたとき、
「この前、俺たちのことを書いただろ」
と言われた。相手は怒っているわけではなく、電話の向こうで笑っていた。アイドル記者時代に彼の担当タレントを取材させてもらっていたからだ。タレントを連れてサイパン島へのロケ取材に行ったりと、お互いに持ちつ持たれつの関係だったからケンカにならずにすんだ。

さて、かつてはアイドルおたくが買い集めたテレカも今では人気が下降し、値崩れしている。オレンジカードもしかりだ。

89年のこと、西田ひかるの500円のオレカに8000円の値がついた。当時、筆者は辰巳出版という会社に在籍していて、先輩社員に西田ひかるの熱烈なファンがいた。そのころ西田ひかるはまだアイドル集団の馬群に埋もれていたが、筆者は何度か取材をしていた。素直な性格の明るい女の子だ。

その西田ひかるの熱烈なファンがいるのでうれしくなった。筆者は例のオレカを3枚持っていたので、1枚あげた。彼は飛び上がって喜んでくれた。

当時は取材に行くと、マネージャーなどがテレカやオレカをくれた。名刺ホルダーにそれらを保管していたが、引っ越しするうちになくなった。テレカコレクションがなくなり、それらの値段も暴落した。かくしてブームは終わった。
今は昔の物語である。

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