宮台真司襲撃の容疑者自殺で思い出した三菱銀行人質事件 犯人・梅川昭美射殺の謎

三浦和義、上田美由紀も死んだ

「これで真相が闇に埋もれてしまった」とがっくりきたのは筆者だけではないだろう。

東京都立大教授の宮台真司氏が刃物で刺されるなどして重傷を負った事件で、容疑者とみられる男(41)が死亡していたことが分かった。事件は昨年の11月29日に発生。宮台氏は頭や背中など10か所以上を切られ、全治6週間の重傷を負った。

容疑者と目される男は18日後の12月17日午前に、相模原市の自宅から約300㍍離れた別宅で首をつって死亡しているのを母親によって発見された。前日に自殺を図ったとみられている。

別宅には「家族や知り合いに迷惑をかけた」との遺書があったが、事件については書かれていなかった。居間からは凶器とみられる斧(全長約30㌢)が見つかった。警視庁は、被疑者死亡のまま殺人未遂容疑で書類送検する方針という。

この事件で注目されたのは容疑者と宮台氏の因果関係だった。なぜ宮台氏が狙われたのか、犯人との間に何があったのかという点に世間は関心を示したが、宮台氏自身はこの男について「心当たりはない」という。

宮台氏のコメントや著書に対して反感を抱き、暴力行為に走ったのか。男の心理的動機を知りたいものだが、本人が死亡した以上、真相解明は難しいと思われる。残念だ。

これまで容疑者や死刑囚などが死亡した事件は少なくない。記憶の新しいところでは先月14日に食事が喉に詰まって死亡した上田美由紀死刑囚(49)。2009年に鳥取県で起きた「連続不審死事件」で死刑が確定していた。

昨年9月には大阪府高槻市の資産家女性(54)が自宅の浴槽で溺死した事件で、殺人容疑などで逮捕された養子の高井凜容疑者(28)が留置場で首つり自殺を遂げている。

2020年1月には03年に前橋市で計4人を殺した罪で死刑が確定した元住吉会系暴力団会長の矢野治死刑囚(71)が東京拘置所で死亡。12年12月には兵庫県尼崎市の連続変死事件で逮捕された角田美代子容疑者(64)が留置場で自殺した。6人が遺体で発見され、3人が行方不明の重大事件だった。

09年10月に起きた島根女子大生バラバラ殺人事件では、発生から7年後の16年に捜査本部が30代の男を犯人と特定。男は事件直後に交通事故死していたため、被疑者死亡のまま書類送検された(結果は不起訴処分)。

その昔、週刊文春が「疑惑の銃弾」と題して報じた三浦和義のロス疑惑事件では、三浦は再審で無罪を勝ち取ったが、08年2月サイパン島に滞在中、ロス市警によって逮捕。市警が三浦をクロとしうる新たな証拠をつかんだとされたものの、同年10月、三浦が留置場で自殺したため捜査は幕を閉じた。三浦は享年61だった。

女性行員を全裸にしたソドムの市

こうした容疑者や死刑囚などが死亡した事件で、筆者の記憶に強烈に残っているのが79年1月26日に大阪市で発生した三菱銀行人質事件だ。犯人の梅川昭美(30)が猟銃を持って三菱銀行北畠支店に押し入り、銀行員2人、警察官2人を殺害した事件。梅川は警察の強行突入によって射殺された。

この事件は一種の猟奇事件として語り継がれてきた。梅川は行員約30人を人質に取って籠城。女性行員19人を全裸にして、警察の狙撃を避けるための「肉の盾」とした。

その際、梅川は「お前らは俺の家来や。家来は殿様の言うことは何でもきかなあかん。それを証明するのに裸にしただけや」とうそぶいたとされる。

さらに銃弾で傷を負った男性行員にとどめを刺すよう別の男性行員に命令。命じられた行員が機転を利かせて「もう死んでます」と言うと、「そんなら切れるやろ。耳を切れ」と命じた。そのため行員は「すまん」と呼びかけつつ、倒れた行員の左耳を半分切り落とした。

解決したのは1月28日午前だった。突入隊の5人が梅川が居座る場所に飛び込み、8発の銃弾を発砲。梅川は頭と首に3発被弾し、「殺すぞ」と呻きつつ床に倒れた。大阪警察病院災害救急センターに運ばれたが、死亡した。

このとき筆者はテレビの生放送で人質解放の様子を見ていた。女性行員たちが毛布にくるまれて次々と建物から出てくる姿を見て、裸にされたのは本当だったのかと思ったものだ。

梅川が人質たちに「おまえら、『ソドムの市』て知っとるか。この世の生き地獄のことや。その極致をおまえらに見せたる」と脅したこともこの事件の猟奇性を強めた。「ソドムの市」は76年のパゾリーニ監督による伊仏の合作映画。第2次世界大戦末期を舞台にファシストの権力者が若い美男美女を集めてエログロの限りを尽くす問題作。同性愛やスカトロ、残酷シーンがふんだんに盛り込まれている。梅川はこの映画を気に入っていたといわれる。

「警察はわざと犯人を撃ち殺した」

こうして梅川を含めて5人の命が奪われた人質事件は終わったが、当時を知る事件記者がこの件を語るとき、決まって口にするのが、
「警察は状況の如何に関わらず、梅川を射殺する方針だったのではないか」
という疑問だ。

梅川は女性を裸にし、行員の耳を切り取らせた。それだけでなく「実は行員同士に淫らな行為をさせたのではないか」という説も流れていた。このことがネックになるというのだ。

もし梅川が生存し裁判が開かれたら、そうした残虐な実態が法廷で詳しく語られる可能性が高い。そうなればただでさえ精神的に傷ついた人質の男女をさらに追い詰めることになる。ならば、いっそのこと射殺したほうがいい。4人も殺したからにはどうせ死刑になるのだから、という論法だ。

ただ断っておくが、この説はあくまでも推測に過ぎない。一種の都市伝説である。

だがこの事件をリアルタイムに見ていたあの当時、梅川の死を語る人々の口から、
「わざと殺したのではないか」
という声が上がっていたのは事実だ。

筆者などはバイト先の飲食店の店長が、
「梅川を担架で運ぶ際に『この野郎』と頭から床に落として死なせたんじゃないか」
と言っていたのを覚えている。

それはともかく、発生の42時間後に人質事件は解決した。その後はテレビや新聞、週刊誌が梅川の人となりや犯行の詳細を報じ、まさに情報の洪水状態となった。

数十年を経ても週刊誌や情報番組がこの事件を扱うのはそのショッキングな猟奇性ゆえだろう。あれから44年が過ぎたが、これほど残酷でおぞましい人質事件は他にない。

この事件も当事者の死という結末によって人々にもどかしさを与えた。梅川はなぜ凶行に及んだのか、彼の残虐趣味はどのようにして醸造されたのか、どこまでのマザコンだったのか。精神鑑定を含めて、こうした梅川の人物像をあぶり出す分析ができなかったからだ。今回の宮台襲撃事件も同様である。

ちなみに梅川の人生と事件を扱った映画が82年の「TATOO<刺青>あり」。高橋伴明監督の出世作で見応え十分だ。また、高倉健主演の「駅 STATION」(81年、降旗康男監督)にも本件を連想させる場面がある。

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