ウインドウズ95によるIT社会でも無理だったのに…
先月22日、政府は「過労死等防止対策白書」を閣議決定し、テレワークの頻度が高いほど睡眠時間が長くなり、男女ともに幸福感が高くなるという分析を示した。
睡眠を1日平均7時間以上取っている割合は、テレワークの頻度が「毎日」の人が計30・3%と最も多く、「週2~3日程度」(計19・4%)、「一時的に行った」(計16・7%)などを大きく上回った。
うつ傾向や不安がない割合も、テレワークが「毎日」の人が60・9%で、「週2~3日程度」(56・5%)、「一時的に行った」(51・2%)などより多かったという。テレワークを推進したほうが人間は健康的な生活ができるというわけだ。
今回のコロナ禍を見て感じたのは、世の中を動かすのは"想定外"の現象ということだ。
筆者が大学生だった1980年前後、「ニューメディア」という言葉が生まれた。今では死語みたいなものだが、当時はテレビやラジオに代わる新たな情報ツールとして脚光を浴びていた。
筆者は83年に大学を卒業して日本リクルートセンター(現・リクルート)の記者をし、毎日、企業の提灯記事を書いていた。まだ新米記者だ。
ある日、日本警備保障株式会社(現・セコム)に取材に行ったところ、何とか本部長の肩書きの人が出てきて「キミぃ、これから世の中がどう変わるか分かるかね?」と切り出した。
「さあ……」
新米の筆者が首をひねると彼はこう説明した。
「これからの世の中はニューメディアが拡大して自宅で仕事ができるようになるんだよ。つまり在宅勤務の社会だ。満員電車に揺られて会社に行く必要はなくなる」
彼の話は夢のようだった。人々は会社やオフィスに縛られず、家でのびのびと働ける。その結果、電車に乗る必要がなくなる。
するとどうなるか。何とか本部長は、
「サラリーマンやOLは満員電車の苦痛から解放される。電車に乗らないから、駅の周辺に人が集まらない。だから駅周辺の店が減少する。立ち食いそば屋もなくなる。結果として駅の周りの地価が大きく下がるのだ。分かるかね、キミぃ」
立て板に水の要領で喜色満面に語っていた。
こうした新しいシステムによって警備業務も人に頼らず、機械によって遠隔で行えるという。たしかに同社はセコムと名前を変え、警備業務のあり方を一変させた。
その翌年、三鷹市と武蔵野市でINS(Information Network System)の実験がスタートした。そのころ「サラリーマンは家で働ける」「家庭の主婦はわざわざ百貨店に行かなくても、自宅に設置された端末画面を見て自分に合った洋服を品定めすることができる」となどと報じられた。テレビのワイドショーは端末画面に映った自分の画像に洋服の画像を合成で映して"試着"することができると、その作業を紹介していた。
だが在宅勤務が拡大する時代は来なかった。人々は相変わらず満員電車に押し込められた。
日本人は満員電車を選んだ
95年に「ウインドウズ95」が出てきてIT社会が到来。インターネットというクモの巣みたいなものが世界をネットワークでつないだ。パソコンが一家に一台の割合で普及し、人々は今度こそ在宅勤務の時代がくると予想したが、そうは問屋が卸さなかった。日本人は満員電車を選んだ。
ところが2020年1月、日本に新型コロナが上陸して情勢が一気に変わった。「感染が心配だから会社に来るな」が社会の標語のようになり、電車はガラガラ、大通りから人の姿が消えた。筆者も勤務先の代表者から「会社に来ないで家で原稿を書いていいんだよ」と言われ、翌日からテレワークで働いた。
上掲の写真は2020年4月22日14時17分に撮った銀座の晴海通りだ。平日(水曜)の午後。まるで特殊撮影のように人とクルマが少ない。これが花の銀座かと思えるほどゴーストタウン化している。
在宅勤務とかテレワークと掛け声だけで一向に進まなかった社会を、人々はコロナという外敵によって実現させることとなった。昔から「天災は忘れたころにやってくる」という。忘れたころに到来したコロナ禍によって、長らく思い描いていたテレワーク社会が現実のものとなったわけだ。歴史はこうした思わぬ伏兵によって変化するのだろう。そう考えると、なにやら感慨深いものがある。
しかしだ。この数カ月を見ると、ガラすきだった電車はまたも混雑している。テレワークの人は確実に増えているが、それでも会社に行かないと安心できないという労働者は少なくない。
これは昔から指摘されていることだが、中堅・中小企業の社長などには社員が会社に来ないと、「あいつら家でサボってるんじゃないか?」と疑う向きもいるそうだ。会社好きは日本人の宿命なのだろうか。残念ながら、警備会社の何とか部長が言ったような駅周辺の地価が下がる現象は起こりそうにない。
ちなみに筆者はテレワークを始めて、これまで往復の通勤時間がいかに無駄だったか、会社で雑務をしながら働くより自宅で作業したほうがいかに効率が良いのかを痛感したのだった。