「HIDEは自殺じゃないのよぉ~」と泣いた直談判の女性
あと3日で安倍晋三の国葬が行われる。場所は日本武道館らしい。
今から55年前、吉田茂の国葬が行われたとき筆者は小学生で、学校の授業が半ドンになったので嬉しかったのを覚えている。最近の報道によると、あのときも野党から国葬に反対する声が上がったそうだが、今回ほどの大きな騒ぎにならなかったと思われる。当時の日本人は現在よりもずっと反権力の意識が強く、それゆえ社会党が元気だったが、政治家の葬儀のあり方には無頓着だったという印象がある。今回の安倍国葬は岸田が党内の保守派つまり右翼勢力にごまをするために企画したもの。いわば「ごますり葬儀」だ。
葬儀で思い出すのが1998年に33歳で死亡したX JAPANのHIDE 。自宅で首吊り自殺したと報じられ、その突然の訃報に、全国でX JAPANのファンを中心にHIDEブームが沸き起こった。葬儀が行われたのは東京・築地の築地本願寺。筆者は会社から近いので葬儀を見に行ったが、大通りの左右の歩道を若い女の子たちが弔問のために埋め尽くしていた。人が多すぎてまともに歩けない。自転車を押して通りかかったおっさんは「おまえたち、いい加減にしろ。家に帰って勉強したらどうだ!」と怒鳴っていた。空にはヘリコプターが飛び交い、テレビの中継車も出動して熱狂の葬式を報道していた。
ギター担当のHIDEはYOSHIKIやToshiに比べると地味な存在だった。X JAPANのファンならともかく、一般の人にはあまりなじみがない。筆者などはその名前も知らなかった。
そのHIDEの葬儀に人がわんさか集まったのは集団ヒステリーとも言える一時的な熱狂だったと思う。X JAPANのファンがHIDEの急死に驚き、その死を悼むうちに、ショックと悲しみが同世代の若い女性にまたたくまに拡散して巨大なムーブメントになったのではないか。そこには比較的目立たない存在のHIDEの女性的なルックスに初めて接して「カッコいい」と感じたにわかファンも多数存在しただろう。だから我も我も詰めかけた。HIDEの葬儀に行かないと後悔する、あるいは時流に乗り遅れてしまうというような切迫感があったのかもしれない、
だがそれはあくまでも一過性のブームに過ぎなかった。だからHIDEのブームは一挙に去った。今では誰もHIDEの命日を口にしないことが刹那的なブームの証拠だ。かつてグループサウンズのコンサートでファンの女性が集団で失神したように、HIDEの死は燎原の炎のように人々の心を焼きつくし、そして消え去った。本当に不思議な現象だった。
当時、筆者は芸能記者をしていて、連日「HIDE自殺」の原稿を書いていた。ある晩、読者から編集部に電話が入った。出ると、若い声の女性が、
「あなたがHIDEの記事を書いてるんですか?」
「はい、そうです」
「HIDEが自殺しただなんて、ひどいことを書きますね」
すでにHIDEは自殺としてあちこちのメディアに報じられていたが、その一方で、実は肩こりを治すためにタオルをドアノブにかけて首を入れて座り、体重で背筋を伸ばすようなことをしていたという報道もあった。
電話の女性は、
「HIDEは肩こりを治そうとして事故で死んだんです」
と言い張る。筆者が「自殺説も濃厚ですよ」と言うと、
「HIDEは自殺じゃないのよぉ~」
と電話口で泣き出した。
数分後、女性は電話を切り、筆者は仕事を終えて会社を出た。
翌日会社に出ると、先輩記者から、
「昨夜、女の子が彼氏に付き添われて『HIDEの記事を書いた人はいますか?』と訪ねてきたよ」
と言われた。
例の女性が直談判に来たようだ。ニアミスである。その後、彼女からの電話もなく、直談判にあうこともなかった。「HIDEは自殺じゃないのよぉ~」というあの絞り出すような嗚咽まみれの声が今でも耳に残っている。
HIDEの葬儀から1カ月ほどして、友人からこんな話を聞いた。
「HIDEの葬儀の2日間で築地本願寺の周辺の花屋から花がなくなった」
なんでも彼の部下に築地の花屋の親戚がいて、その部下が教えてくれたのだという。友人は、
「HIDEの葬儀で花屋は花をいくら仕入れても品不足になった。並べたはしから売れた。まるでバッタの大群に襲われたみたいで、結果として葬儀の2日間で一年分を売り上げたそうだ。ボロ儲けだね」
と話してくれた。記憶が定かではないが、献花の花はワンセット500円前後で売られていたのではないか。筆者はあの怒涛のような弔問客の様相を思い出すにつけ、さもありなんと納得した。
そして1970年11月に三島由紀夫が東京都新宿区の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で切腹したときのテレビニュースを思い出していた。あのときも若い女性が葬儀にどっと詰めかけ、マスコミの取材に「三島の死に方にしびれる」との感想を漏らしていた。切腹のうえに仲間の手によって首を落とされるとはいかにも三島らしい派手な死に方だ。学生運動のピークの時代に、女性は腹切り・生首というグロテスクな現象に魅力を感じたのだろう。
ちなみに当時のフォーク歌手・遠藤賢司は「カレーライス」という曲の歌詞にこんな一説を盛り込んでいる。
「僕は寝転んでテレビを見てる 誰かがお腹を切っちゃったって うーんとっても痛いだろうにねえ」