成功者は10人に1人いるかどうか
1990年代は仕事の関係で毎晩のようにタクシーに乗っていた。走ってる間、運転手さんと世間話をする。相手が60歳以上でタクシー経験が長い場合、筆者はいつも、
「タクシーの運転手さんたちが一番儲かったのはいつですか。やはりバブルのとき?」
と質問した。彼らの答えは判で押したように、
「そりゃ東京オリンピックのころですよ」
だった。
へえ~っと思った。てっきり1980年代後半のバブル経済期だと思っていたのに、64年に開催された東京五輪の前後だったからだ。
「あのころはタクシーに乗る客が多かった」
「『釣りは要らないよ』という客がけっこういて、稼ぎがふくらんだ」
「オリンピックのころは本当に良い時代だった」
と、こんな具合だ。
こうして稼いだカネを彼らは有効に使ったのだろうか?
「しっかり貯金して財をなした人はいるんですか」
こう聞くと大半の運転手が、
「みんな、酒を飲んだりパチンコや競馬につぎこんだりして使ってましたからね。愛人をつくった人もいる。こつこつ貯金していた人は本当に少ないですよ」
「でもいるにはいるんですね」
「ええ。10人に1人いるかどうかですが」
「そういう人はどうなったのですか?」
「土地を買いました」
「土地?」
「はい。あのころの東京は今に比べるとまだ土地が安かったから、タクシー運転手の収入でも家や土地が買えたんです」
「それで?」
「先見の明のある人は、その後『高級住宅街』と呼ばれるようになる世田谷区などの土地を買い、家を建てました。さらに頭のいい人はアパート経営を始めたんです」
「アパートも?」
「土地を現金で買い、それを担保にローンを組んで家を建て、次に家の隣にアパートを建てた。建設費などは家賃収入でまかなってました」
「ということは悠々自適の大家さん?」
「いえ。そういう人はタクシー会社を辞めて、個人タクシーの認可を受けました」
「大家さんをしながら、個人タクシーの二足のわらじですね」
「なかにはさらに物件を買い、アパートを増やした人もいますよ」
「へえ~」
「ただ、何度も言いますが、そんなしっかりした人は10人に1人もいません。あのころは『明日はもっと儲かる』と稼いだ端から使ってましたからねぇ」
こう解説して、
「私も使いまくったくちですよ」
と笑う運転手が多かった。90年代半ばに60代の運転手に聞いた話だから、東京五輪のころは30代だったはずだ。
バブル期は貸し剥がしで夢がはじけ飛んだ
こうした話を聞いたころ、自宅の周辺を散歩していると、庭付きの一戸建てのガレージに個人タクシーを止めている家を見かけた。おそらくこの家の主は10人に1人もいない堅実家なのだろうと勝手に想像した。ちなみにその家は現在、タクシーは止まっていない。運転手は亡くなったのかもしれない。
それにしても気になるのがバブル期のことだ。映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」(07年)にもあるように、当時はタクシーがつかまらず、人々はチップの一万円札をヒラヒラさせて路上に立っていた。ある運転手は、
「証券会社の社員などはホステスを連れて、一万円札を2枚振っていた。それでもタクシーはなかなかつかまりませんでした」
と言う。
東京五輪のころに比べて儲けが薄かったのか。そこをあらためて追及するとみなさん、こんな反応だった。
「たしかにバブル期は客が増えたし、チップも入った。だけどオリンピックの前後に比べてタクシーの数が多かったような気がしますよ」
念のため国土交通省の統計データをチェックしてみた。65年のハイヤーとタクシーの車両数は15万1046台。これが平均株価のピークである89年になると25万6792台と大幅に増加している。
運転手はこう続けた。
「堅実にアパートやマンションを経営していた人たちも最終的に失敗しました」
「失敗?」
「総量規制というんですか。あれがきっかけで銀行から貸したカネを返せとせっつかれた。貸し剥がしにあい、最終的に借金だけが残った人が多いのです。バブルのときにうまくやって成功したタクシー運転手の話はほとんど聞いたことがないですなぁ」
そういうことか。東京五輪は高度経済成長(55~73年)の最中に開催された。当時はある意味で健全な経済成長の時代だった。70年代は日本列島改造論でマイホームブームも起きた。
筆者は72~73年ごろ田舎の中学生だったが、一戸建てが1000万円というテレビニュースを見て震えあがった。同時に「うちの親が早めに家を買っといてよかった」と安堵したものだ。
それに比べて86年暮れに始まったバブルは狂乱たるカネ余り現象を演出し、人々が躍り狂っていた。運転手たちもバブルという経済の泡にまみれた。
だがバブルは崩壊。やがて住専問題が起き、「不良債権」が世相を代表する言葉となって、運転手たちの夢もはじけ飛んだのだろう。諸行無常である。