ピーク時は130㌔、週に数回人工透析も受けていた
突然の訃報に多くの人がビックリしただろう。
渡辺徹(61)が亡くなっていたことが明らかになった。11月28日午後9時1分、敗血症のため死去した。
渡辺は11月20日に発熱、腹痛などの症状で都内の病院を受診。細菌性胃腸炎の診断を受けて入院した。その後に敗血症と診断され、加療したが、回復できなかった。
体調が良くないという話はあったが、これほど急に亡くなると、その死を悼むとともに健康の大切さを考えてしまう。61歳の死は、日本人男性の平均寿命が81・64歳の時代にあまりに早すぎる。
渡辺は高校を卒業して1980年に文学座研究所に入所。翌年、人気ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ)の刑事役に抜擢されてデビューした。
コミカルな演技ができるイケメン俳優として人気を得たがすぐに太り始め、ピーク時の体重は130㌔に達した。30歳のころは「2型糖尿病」との診断を受けている。
2012年に虚血性心疾患のため心筋梗塞の手術。13年には急性膵炎で緊急入院した。糖尿病によって週に複数回、人工透析を行うなど、病と闘いながら芸能活動に取り組んできた。
肥満を生かした「変態」でマイナスをプラスに転換
「芸能界に入って太った唯一の役者」
80年代半ば、渡辺にこんな称号がついた。二枚目路線なのだから、本来は体型維持のための栄養管理が必要だが、それを怠っているという意味だった。そこには「タレントなんだから、しっかりしろよ」というやや批判的な意見も込められていたと思う。
だが食べるのが好き、ことにマヨネーズが大好物というキャラのため、みるみる健康優良児に成長した。1日に6000㌔カロリーを摂取していたというから、元のスリムに戻るのは無理と本人も諦めていたのかもしれない。
彼の芸能人生を考えると「変態」という言葉を思いつく。アブノーマルなプレーではない。自分の体型に合わせてキャラを変容させたという意味だ。
二枚目が肥満児に転じた。だから生来のユーモアのセンスを前面に出してコミカル路線に転じた。丸くなった顔は生まれもっての人当たりの良さを表現するにふさわしいものとなった。加えて87年に結婚した妻・榊原郁恵とのおしどり夫婦ぶりである。
こうしたほのぼのとしたキャラを強めることによって、お茶の間の人気者であり続けた。要するに肥満というマイナス要因を大胆にプラスに転換させたのである。もちろん彼は力士のようにわざと太ったのではない。食べ過ぎた上に摂生ができないため、やむなくキャラを変えたともいえようか。
摂生できなかったという点では「破滅型の芸能人」と言えるかもしれない。アルコール依存症だった横山やすしや岡八郎、水原弘、飲み過ぎで変死した尾崎豊などがこのタイプだ。勝新太郎などは豪快な飲みっぷりの上に、下咽頭癌がんを発表した会見であえてタバコをふかせるサービスぶりを発揮した。
破滅型芸能人の多くは飲み過ぎだったが、渡辺は食べ過ぎだった。そのあたりも彼一流のユーモラスな人生と言えようか。
健康のためにカメラが止まると箸を下ろす
「石塚英彦は最近、摂生してるよ」
ホンジャマカの石塚英彦(60)の関係者からこんな話を聞いたのは15年ほど前だった。
「まいう~」の決めゼリフでグルメ番組の常連となり、食べ物のCMなどに出まくっていた石塚だが、さすがにこれ以上太ると命を縮めると判断。家族の説得などもあって食べる量を抑えることにしたという。
「食べ物取材で、テレビのカメラが回っているときは食べるけど、止まると箸を下ろす。なるべく食べる量を少なめにする。あとは編集で『おいしいからたくさん食べました~』みたいなに演出にしている」
とその関係者は話してくれた。歌手で言えば"口パク"のようなものか。
石塚についてはコロナの自粛中に自宅で筋トレに励んだという話もある。彼はもともと運動神経がいいから、体を動かすのが好きなのだろう。
筆者は石塚のダイエット話を聞いてから、テレビで彼の出演シーンを見るにつけ、どれだけ食べているかをチェックした。もちろん放送される映像は収録映像のごく一部だから、実際にどのようにして食べているのかは分からない。分からないが、「あの石ちゃんがダイエットを意識してるのだから、俺も摂生しなきゃ」と自らを戒めたのだった。