ハロウィンの大騒ぎで懸念される 10年後の日本人のアメリカ流「求婚ポーズ」

クリスマスはマッカーサーの戦後政策か

ハロウィンの夜に、渋谷の大騒ぎをテレビで見ながらバカバカしさを笑おうと思ったら、ソウルの梨泰院で雑踏事故が起きた。この事故で「群衆雪崩」という言葉があることを知った。

痛ましい事故だったのであのときは書けなかったが、やはりハロウィンについて一言述べさせていただきたい。

戦後の日本人は欧米、ことに米国の文化が大好きだ。盲信していると言っていい。12月になると他人の宗教なのにクリスマスで騒ぐ。ご丁寧にツリーなどを飾り、「メリークリスマス」を連呼する。

スーパーなどではクリスマス曲がエンドレステープのように流れる。筆者に言わせれば、この時期の日本人はにわかバテレンだ。

他人の宗教に乗じて男女が「聖夜だぁ」とプレゼントを交換する。ついでに一泊して愛の交歓。これでは「精夜」ではないか。本当のキリスト教徒の人たちに申し訳ない。

こうなったのはマッカーサーの戦後統治が影響していると、以前新聞で読んだことがある。日本人は戦争好きな民族なのでキリスト教に改宗させれば平和的になるだろうと、GHQが子供たちを教会に招いた。そこからキリスト教が日本人に浸透したのだという。本当かどうかは知らないが、そう書かれていた。

だが筆者には「青い目のガイジンさんがやることは何でもカッコいい」という日本人のコンプレックスとも言える羨望がクリスマス詣でを支えているように見える。

カッコいいから結婚式もわざわざキリスト教会でやり、「誓います」などと言う。なのに新婚旅行で乗った旅客機が乱気流でグラグラ揺れると、「お助けください。なんまんだぁ~」と仏さまに手を合わせる。やってることがチグハグすぎるよ。

1970年代に広まったのがバレンタインデー。製菓会社がチョコを売るために画策したとされる。女性が好きな男に気持ちを伝えられるので便利といえば便利だが、しょせんは借り物文化だ。

クリスマスでケーキを売り、バレンタインデーでチョコを売る。商売人の作戦がまんまと当たった。やはりコンプレックスに裏打ちされた西洋崇拝が根底にあるのだろう。

90年代、ハロウィンは鎮静化した

ハロウィンは80年代のバブル期に一瞬はやりそうになった。文具店や雑貨店に行くと、オレンジ色のカボチャのお化けみたいなのが飾ってあり、「Happy Halloween」などと書かれている。

当時の筆者はハロウィンといえば、映画「アラバマ物語」(1962年)でしか知らなかった。だから「嗚呼、またまた変なのが現れたよ~。豊葦原の民族が進駐軍に感化された~」と日本人であることが恥ずかしく思えた。

だがハロウィンは定着しなかった。カボチャの快進撃が止まったのだ。

90年代に入ると知り合いの女性が、
「結局、ハロウィンは広まらなかったわね~」
と言って、筆者を安堵させてくれた。

いくら何でもこれ以上、西洋への憧れを露骨にさらけ出すような愚行はやらないだろう。筆者はナショナリストではないが、そんな期待をした。

ところが情勢が変わった。21世紀に入ってしばらくしたころ、渋谷で仮装お祭り騒ぎが始まった。これでますます日本人であることが恥ずかしくなった。

「独立記念日があるじゃないか」

こうした流れを見て思うのは、日本人は歯止めがかからないということだ。ハロウィンが日本の行事として今以上にしっかり定着したら、新たな獲物を求めるだろう。次は何に飛びつくのか。

今度はイースター(復活祭)をやり、それに飽きたら感謝祭ことサンクスギビングまで導入して、永遠に渋谷でバカ騒ぎを続けるかもしれない。

その結果、10年後にはどうなるか。
「感謝祭にも飽きた。次は何をやろう? 何かないか?」
「困った。ネタ切れだ」
「まてよ。7月4日があるじゃないか」
「7月4日?」
「アメリカの独立記念日だよ」
「それ楽しそう。乗った!」
こんな調子で7月4日になると、
「独立記念日おめでと~!」
と大合唱するかもしれない。

なにしろ台場に自由の女神をぶっ建ててビューポイントにするお国柄だ。イナゴの大群のように米国の文化や行事を食いつくし、身も心もかの国の属国となるのだろう。

10年後の7月4日にたまたま台場を通りかかり、自由の女神の周辺を若者が踊り狂う風景を目撃するかもしれない。

そのとき台場と呼応する格好で、渋谷では急ごしらえの自由の女神像を神輿に乗せて若者が行進し、人々は女神像にぬかずき祈る。ジョージ・ワシントンやエイブラハム・リンカーンの仮装をした若者が街を練り歩く……。

ゲロゲロ~。頼むから、筆者が生きている間はそうならないでくれよ~!

片膝立てて指輪を差し出し、拍手が…

筆者は映画を見るのが仕事みたいなところがある。当然ながら米国映画もたくさん見る。
かの国の風習として頻繁に目にするのが男が女性にプロポーズする場面。片膝を立てて指輪のケースを差し出すあの求婚ポーズだ。

他民族の風習だが、見るたびに照れくさい思いがして、「日本人でよかった」と桃屋のCMみたいな独り言をつぶやく。

だけど心配だ。まさかとは思うが10年後、街なかで日本の男子が恋人の前で膝を立てて小箱を開き、周囲の人たちがパチパチと拍手する風景を見かけるかもしれない。

考えただけで背中をゴキブリの集団が這い回りそうだ。そうなったら筆者はイカダを漕いで海外に脱出したいと思うのだ。

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