1985年の日航機墜落事故 命が助かったカメラマンと乗り合わせた幼い兄妹の悲劇

高校野球の取材のため大阪に

人間の運命はほんの些細なことで入れ替わる――。そんなことは若いころから知っていたが、身近な人から実話を聞かされるとかなりの衝撃を受けるものだ。

「日航機の墜落事故でうちのカメラマンが助かったらしいよ」
勤務先の社員からこんな話を聞いたのは20年ほど前のことだった。事故とは1985年8月12日に起きた「日航機123便墜落事故」だ。羽田空港発大阪空港行きの旅客機が群馬県多野郡上野村の山中(御巣鷹山)に墜落、乗客乗員524人のうち520人が死亡した大惨事だった。

事故は筆者が勤務先の会社に入る6年前に起きたため、その当時のことはよく知らなかったが、古い社員によるとこんなことが起きたという。

会社のカメラマンが大阪で取材が入ったため、この123便に乗る予定だった。ところが羽田空港で旧知の友人とばったり会って「まあビールでも飲もう」となり、飲んでいるうちに話が盛り上がったので、123便をキャンセルした。そのため彼は命が助かったという。つまり乗るべき飛行機をチェンジしたわけだ。

世の中にはすごい実話があるものだなと思い、写真部の部長に「本当ですか?」と聞いたら、
「飛行機を変えたのは事実だけど、少し違う」
とのことだった。
「そのカメラマンはうちの社員ではなく、外部のフリーカメラマン。品川あたりの会社の社長のインタビュー取材のあと、大阪に向かったんだよ」

勤務先の新聞の連載記事に「社長の私生活」というのがある。上場企業などの社長に経歴や趣味などをたっぷり語ってもらう企画だ。

担当の記者が品川界隈の会社のA社長の取材アポを取り付けた。社員カメラマンは一部が夏休みを取っていたため人手が足りない。そこでフリーのBさんにその取材の撮影を依頼した。

当日取材が始まり、Bさんはインタビュー中のA社長の写真を撮った。取材時間は1時間のはずだった。ところがA社長は話好きの人だった。予定の時間を過ぎても楽しそうにとうとうと語っている。

Bさんは少し焦った。というのも彼はそのあと別の会社の依頼で高校野球を撮影するため大阪に行かなければならなかったからだ。当然、飛行機のチケットも取っていた。それが123便だった。

取材対象者がおしゃべりでなかったら…

A社長の取材時間は大幅にずれ込んだ。Bさんは終了後、慌てて羽田空港に向かったが、遅刻したため搭乗できなかった。そのため次の便に変更。結果的に彼が乗るはずだった飛行機が墜落した。

「その社長さんがおしゃべりでなかったら、彼は予定通り、123便に乗っていたはずだ」

とは写真部長。

筆者もこれまでいろいろなインタビューを経験した。A社長のように話好きでうれしそうに語る人は少なくない。せっかく楽しそうに話しているのだ、腰を折りたくないと話を聞き、次の取材に遅刻したこともある。Bさんも同じ心境だっただろう。

ただ、Bさんの運命を好転させたのは彼の人柄でもある。取材で話を聞くのは記者の仕事だ。カメラマンはしゃべっているA社長の写真を撮ればそれで作業は終了とも言える。使用するのは1カットなのだから、最後までその場に留まる必要はない。「僕は次の仕事があるので」と事情を説明してその場を離れてもよかった。

彼がそうせず最後までつき合ったのは他人を不愉快にさせたくないという生真面目な性格だったからかもしれない。あるいはフリーという立場上、撮影したらさっさと帰るといういい加減な態度をとりたくなかったとも考えられる。

いずれにせよ、彼はA社長のおしゃべりによって命を救われた。運命とはドラマチックだなと筆者は思った。

「あの飛行機に友達が乗ったんです」

だが、すぐにもっと衝撃的な話を聞いた。
Bさんの話を聞いて2週間後、筆者は行きつけの理髪店で散髪した。C子さんという30代の女性が経営する店で、月に一度髪を切ってもらい、そのたびに世間話をしていた。

その日、筆者はC子さんにカットされながら、「すごい話を聞きましたよ」とBさんの出来事を聞かせた。不謹慎ながら、彼女が運命の不思議さに驚くだろうと思った。
ところがC子さんは口数が少ない上に弱弱しく頷いてばかり。どうしたのかなと聞いてみると、
「実はあの123便に私の同級生が乗っていたんです」
と言う。

思わず「ええっ?」と聞き返した。C子さんの話は次のようなものだった。

彼女の中学時代の同級生の男子が父親の仕事の都合で東京・世田谷区から大阪に引っ越した。祖父母は東京に住んでいる。そのため彼は夏休みに、妹と2人で祖父母のもとに遊びに行った。

友達が集まって彼と会い、C子さんもその中にいた。男子は再会を楽しみ、大阪に戻る際に123便に乗って、帰らぬ人となったという。

「彼は私と同じ中学2年生。妹さんは小4でまだ10歳でした」
背後に立つC子さんが鏡越しに言った。いつもよく笑う人だが、その日は表情に陰がさしていた。そのころ筆者には5歳の娘がいた。兄妹の悲劇を思い、何も言えなかった。

少年は妹を連れて2人で飛行機に乗り、祖父母や友だちを喜ばせて遭難した。親御さんや親戚の方たちの悲しみはいかばかりだったか。

大人のカメラマンが命拾いをし、小中学生の兄と妹が命を失った。こんな話を同時に聞き、何ともやりきれない気分に陥ったのだった。それ以来、C子さんの前では人が亡くなる話はしていない。

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