ドスを畳に刺し、ピラニアに指を食べさせる 暴対法のない時代のヤクザの脅迫テク

取り立てに行ったK氏がヤクザにビビらなかったワケ

ヤクザは人を脅すのが商売。最近は暴対法などの縛りがあって、ヤクザもそう簡単に「おいこら」と堅気の衆を威圧できないが、昔は違った。やり放題だったのだ。

筆者の知人のK氏は今から40年前の大学時代、関西の百貨店でバイトしていた。担当はクレーム処理。客からイチャモンをつけられたときに、菓子折りを下げて謝りに行く係りだ。
「ヤクザの事務所に呼び出されたこともあるよ」
と彼は言う。

そこは暴力団の事務所というより、親分の自宅の豪邸だった。K氏は百貨店の課長から「とにかく先方の要求を聞いてきてくれ」と指示されたのだ。

当然ながら屋敷にはヤクザがウヨウヨ。そこで幹部からクレームの内容を告げられ、「誠意を見せろ」と迫られた。要するに「カネを出せ」というわけだ。残念ながらK氏は相手がどんなクレームをつけたのかを覚えていない。

覚えているのは話し合いの相手の老練のヤクザがタイミングを見計らって懐のドスを取り出し、鞘から抜いてブスリと畳に突き刺したことだ。

まるでヤクザ映画の一コマのような展開。普通の人ならキラリと光る刃を見た瞬間にビビるはずだが、K氏はいささかも恐怖を感じなかった。

なぜなら彼は戦国時代から続く古武術の宗家の長男だからだ。彼の家には2尺3寸を超える大刀がごろごろ。その中には関孫六のような国宝級の名刀もあった。子供のころから切れ味抜群の真剣を見慣れているため、たかが短刀くらい怖くもなんともないのだ。

K氏はそのときのことをいつもこう話してくれる。
「相手のヤクザは俺がドスを見ても顔色を変えんから拍子抜けしたみたいでなぁ。しばらく黙っとったら『もうええ。帰れ』となった。百貨店に戻って報告したら、『ようやってくれた』と特別手当をくれたわ」
いまヤクザが同じことをやったら、即逮捕は間違いない。

たかが1000円ぽっちで「ツケにしろよ」

一昨年ツイッターで知り合ったDさんは40年前、渋谷のレストランに勤務していた。客は一般の堅気やヤクザ、風俗嬢など雑多な人間ばかり。

ヤクザの中には昼間ビールを飲み、カレーライスを食べたあと「持ち合わせがないから、ツケにしとけよ」と代紋入りの名刺を突きつけ、支払いをせず店を出て行く者もいた。「払ってください」と頼んでも「心配するな。今度払う」と応じてくれない。

当時は暴対法もなく、世間全般に「ヤクザに逆らうな」との気風が強かったため、飲食店は泣き寝入りすることが多かった。

そのため、まだ20歳だったDさんは店長から「取り立てに行ってこい」と命じられることもしばしばだった。

道玄坂を上り、円山町の方向に折れたところにその暴力団事務所はあった。Dさんは「ごめんください」と中に入り、出てきた若いヤクザに事情を説明した。若造ヤクザは兄貴分に報告するために奥の部屋に入って行く。

待っている間にふと見ると玄関ドアの近くに魚の水槽があった。泳いでいるのが金魚でもフナでもないので、Dさんはそこにいたチンピラ風の男に、
「これ何ていう魚ですか?」
と聞いた。するとチンピラは、
「これか、ピラニアだよ」
とニヤリと笑い、
「おおそうだ。エサをやらないとな」
と何かを水槽に入れた。ピラニアがあっという間に呑み込んだ。

「何を食べさせたんですかと聞いたら、『ヘマをしたヤツが詰めた指だよ』との答えでした。本当かどうか分かりませんが、そういえば人間の小指のように見えました」
とDさん。

エンコ詰めの指を食べさせて素人を脅し、「もうお代はけっこうです」と逃げ帰るよう仕向けたのだろうが、それでもDさんが待っていると、奥から40歳前後の幹部らしき男が現れ、
「うちの若いもんがカネ払わなかったって? いくらだ?」
と言って代わりに払ってくれた。

若いDさんは最初は怖かったが、その後同じようなことが何度も起き、そのたびに取り立てに行ったため次第に怖くなくなったという。

笑ってしまうのがビールとカレーの代金。合わせて1000円ちょいだった。ツケにしてはせこい金額だ。
「ヤクザというのはカッコつけてなんぼの世界。堅気みたいに真面目にお金を払って店を出るのは彼らにとってカッコ悪いことなのです。だからお金を持ってるくせに『ツケにしとけ』とか『払って欲しけりゃ、取りに来い』と突っぱねる。それが男気だと勘違いしてるわけですよ」(Dさん)

考えてみると本来、ヤクザは素人を脅したり傷つけたりするのが商売。40年前はこのようにやり放題だった。

だが警察が厳しく取り締まるようになったため、最近は大人しくなった。今は素人に名刺を渡しただけで引っ張られる時代だ。ピラニアを見せたら、懲役刑かもしれない。

おすすめの記事