「沖縄の小学生は自分の指をナイフで切り落とすんです」
小学4年のときに見たヘビ使いは強烈だった。
筆者が育った九州の田舎町では4月になると「春の市」というイベントが行われ、いろんな出店が並んだ。その一角で人々を集めていたのがヘビ使いだった。
そのとき見たのは40代くらいの小柄なオジサンで、顔と体が日焼けしていた。色黒だったのは本人の弁によると、沖縄から来たからだという。
「本土の方たちにヘビをお目にかけるとともに、沖縄を1日も早く日本に返還していただくよう、これから政府に陳情に参ります」
こう言うと、群衆の大人たちからパチパチと拍手がわいた。ときに1968年。沖縄返還が実現する4年前のことだ。
オジサンは体にさまざまなヘビを巻きつけてそれぞれの特性を解説。客が飽きてきたころ、空手の石割りに移った。
「沖縄では子供は生まれたときから琉球空手を学んでいます」
こう言って取り出したのは細長い花崗岩。これを地面に置いた左手の上に寝かせ、手刀切りの要領で右手を振り下ろす。すると花崗岩は真っ二つに。次々と花崗岩を割っていく。気合をかけることなく、無言で割るのだ。
「こうした石割りは沖縄では小学校低学年の女の子もできます」
オジサンの説明に、筆者は沖縄では自分より年下の女子がめちゃくちゃ強いのだと知った。
――悔しい。
それは男尊女卑の気風の強い九州の男児にある種の屈辱感をもたらしていた。
「では本日の主役のハブをご覧いただきます」
石割りの演武が終わると、オジサンは鞄の中からドンゴロスの袋を取り出して地面に置いた。中身は見えないが、袋の中でヘビがクネクネとのたうっているのが分かる。
「ご存知でない方に申し上げますが、ハブはマムシ以上の猛毒を持ち、沖縄の山や村にうようよいます。これにかまれたら3分で死にます」
筆者は子供心に怖かった。だがそれ以上に怖いのが次の言葉だった。
「沖縄の子供たちは男も女も腰のベルトに10センチくらいのナイフをさして持ち歩いています。学校に行く途中に草むらからハブが躍り出て子供の指にかみつくことがあります。すると子供は全身に毒が回らないよう、腰のナイフを抜いて、かまれた指を切り落とすのです。だから沖縄には指のない子がたくさんいます」
筆者は自分と同じ年齢の子供、特に女の子が自分の指をスパッと切断する光景を想像して身震いした。そして「ハブのいない町に生まれてよかった」と神に感謝した。
だが大人になって沖縄出身の人に出会うたびに、沖縄の子供たちがナイフを持ち歩き、いざというときに指を切断する話をすると、全員が、
「そんな風習はないよ」
と笑って否定した。そういえば指が欠落している沖縄出身者と出会ったこともない。どうやら、あのオジサンの作り話のようだ。
顔のホクロを無痛で取り除く
オジサンはドンゴロスの中でうごめくハブをなかなか見せてくれず、代わりにカバンから小さな金属製の缶入りの軟膏を取り出した。
「こちらはハブの毒から作った『乙女肌』という軟膏です。どんなケガや皮膚病にも効く上に、痛覚がなくなります。つまりこれを塗れば痛くなくなるのです」
こう言って観客の中から中学生くらいの少年を指さした。
「ボク、鼻の横にホクロがあるね。そのホクロ取っていい?」
「はい」
こんな会話のあと、オジサンは少年のホクロに乙女肌を塗り、「どなたか、チリ紙をもらえますか?」と言って主婦らしき女性からチリ紙を一枚受け取った。チリ紙をホクロに当て、
「ではいくよ」
と声をかけて手をスライドさせると、少年の顔からホクロが消え、チリ紙にホクロがついている。つまりホクロをもぎ取ったのだ。
「ボク、痛くなかったろ?」
「うん」
こうして彼のホクロは永久に消えた。ホクロで運勢を見る占いのお告げが大きく変わることになる。
次にオジサンは自分の喉に乙女肌を塗り、持参した待ち針を取り出した。
「では乙女肌を塗った喉にこの待ち針を刺します」
こう言ってオジサンは喉仏の横あたりに針をブスリ。奥まで押し込んだ。その上で群衆に近寄り、
「どうです、奥さん見えますか? ほら、待ち針の頭だけが出てるでしょ」
筆者も近くで見たが、確かにオジサンの喉から待ち針の頭がひょいと出ている。3㌢ほどの針が喉の肉を貫いているのだ。
女性客が「痛そう」という風に顔をしかめる。だけどオジサンは、
「ちっとも痛くないんです」
とニコニコしている。
「このように乙女肌は人間の痛みを取ることができるのです」
オジサンの口上に筆者はあることを想念した。
――この軟膏を全身に塗ればケンカで勝てるのではないか。
当時、筆者は町に引っ越してきたばかり。この町は気風が閉鎖的で、よそ者をいじめる風習がある。そもそも有名なヤクザの夜桜銀次の出身地だからヤクザが多く、大人も子供もガラが悪かった。そうしたことから、筆者はいじめを仕掛けて来る悪ガキどもと毎日のように殴り合いをしていた。
――乙女肌が欲しい。
胸がときめいた。
少年は見事に叩き割った
筆者の期待感を刺激するようにオジサンは次のパフォーマンスに移った。観客の中から新たに中学生らしき少年を選び、
「ボク、ここにきて石を割ってみて」
と指示。細身のどこか弱弱しく見える少年だ。
彼は先ほどオジサンがやって見せたように右手の手刀を花崗岩に振り下ろした。だが石は割れない。少年は、
「痛ぁ~」
と口元を歪め、右手をヒラヒラさせている。人が痛みを抑えようとするときの動作だ。
「では彼の右手に乙女肌を塗ってみます」
オジサンは少年の右手の石にぶつかる部分に乙女肌を塗り、
「もう一度やってみて」
と言う。
少年は力いっぱい手刀を叩きつけた。花崗岩は見事に真っ二つに割れた。
「ボク、割れたねえ」
「はい、割れました」
少年はキョトンとした表情をして小声で答える。
「皆さんいかがですか? 乙女肌を塗れば痛みがなくなり、このように石を割ることもできるのです」
オジサンが口上を述べる間、少年は楽しそうに大理石を割っていく。
筆者は感激で全身が痺れた。
――乙女肌、すごい……。
悪ガキどもを次々とパンチで倒していく自分を想像した。
だが問題があった。
「値段は600円です」
オジサンの口上を聞いたからだ。
68年である。大卒初任給が3万600円の時代だ。現在の価値に換算すると4200円になる。とてもじゃないが、小学生に買える額ではない。しかもオジサンは乙女肌の販売に熱中時代で、肝心のハブを見せてくれない。というのも沖縄返還に同情したのか、大人が乙女肌を買い始めたからだ。
そこに筆者の愚かなる母者人が「もう帰ろう」と迎えに来たので、やむなくその場を離れた。ハブ様の雄姿を見ることはできなかった。
春の市というイベントは2日間開催される。翌日も行ったが、ヘビ使いのオジサンはいなかった。どうやら前日だけの1回興行だったようだ。
筆者は輪投げや金魚すくいなどの出店を見学した。そこで偶然にも、こんな声を聞いた。
「乙女肌を塗ったけど、瓦が割れん」
見ればたこ焼き屋でバイトしている中学生らしき男子2人が話をしている。聞き耳を立てると、どうやら彼らは昨日、カネを出し合って乙女肌を買い、屋根瓦を割ろうとしたが、割れなかったようだ。
「痛みがなくなると言いよったけど、そげなことはねえ。痛てえぞ」
まるで筆者に見せるかのように、一人が乙女肌の容器を開いて手に塗り、屋台の向こうにしゃがんで屋根瓦を叩いた。瓦は割れなかった。
――乙女肌はインチキだったのか……。
筆者の頭は混乱した。
高校生になり、空手道場で気づいたヘビ使いのインチキ
6年後、筆者は高校生になった。家の近所に空手の道場ができた。看板は「少林寺流空手道 錬心舘」。当時はブルース・リーと大山倍達のブームで、筆者も興味本位で稽古を覗きに行った。手刀による瓦の試し割りをしているのを見た。
そのとき気づいた。
――6年前に見たあの少年は本物だった……。
トリックだったのだ。少年は最初は手刀を花崗岩に軽く当てる程度だったが、乙女肌を塗ったあとは全身の体重を込め、腰の回転も使って叩き割った。
あの少年はもともと空手の経験者で、サクラだったのだ。高校生の筆者は錬心舘の師範の試し割りを見てそのことに気づいた。錬心舘が琉球空手を源流としているからかもしれない。
そもそも手の痛みのあるなしで、花崗岩が割れるかどうかが決まるはずがない。石を割るには相応の打撃力が必要なのだ。
ついでに言うと「沖縄返還の陳情」というのも怪しい。観客の共感を得るためのウソではないだろうか。
ということはホクロをもぎ取られた少年もグルなのだろう。だからオジサンは2日間のイベントで1回しかパフォーマンスを披露しなかった。同じメンツで2度やったらバレるからだ。
こうしてヘビ使いのオジサンと少年2人は筆者に「大人の人騙し」を見せつけて去っていった。現代の日本人は知識が豊富で疑い深いためこうしたサクラによるインチキを見分けるだろうが、54年前の日本人は信じやすかった。
ちなみにネットを見ると「乙女肌」というフェイスローションがある。筆者が見たものとは同姓同名のようだ。