庭野日敬の息子を奪還するためにミイラ取りになったというトンデモ説
統一教会関連でこんな話を聞いた。ただし、あくまでも噂話だから確証はない。
統一教会の初代会長は久保木修己(1931~98年)。彼はもともとは立正佼成会の幹部だったが、統一教会の信者に転じ、会長まで出世した背景には興味深いいきさつがあるという。こんなストーリーだ。
その昔、立正佼成会会長だった庭野日敬の息子が統一教会の信者になった。庭野はそのことを憂えて、当時立正佼成会幹部だった久保木を動かした。久保木に息子を説得させて統一教会から連れ戻そうとしたという。
ところが久保木は庭野の息子を説得するうちに、彼らの教義に感化され、ついには信者になってしまった。庭野としても、かわいい息子がいる教団なので無碍に扱うことができなかった。つまり妨害活動をしなかった。それどころか、協力の姿勢を示した。
こうして立正佼成会の布教・信者拡大の裏技を熟知している久保木はその手法を使って次々と信者を獲得し、その実績を評価されて統一教会の会長に上り詰めたという。
以前からウィキペディアの久保木修己の説明に、慶応大在学中に立正佼成会に入会し庭野の秘書を勤めたとの記述がある。どういう経緯で統一教会に転じたのかと疑問に思っていたが、つまりはミイラ取りがミイラになったということか。
このほか笹川良一に認められて文鮮明と接触したとの説もある。ただしこの話はあくまでも噂を域を出ない。大昔の与太話かもしれない。
ちなみにウィキペディアは久保木について下記のように記している。
《・1962年(31歳)
立正佼成会を去り、「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)に入教(立正佼成会の庭野日敬会長(当時)の指示で統一教会の教えを学んでいた青年部50名ほどが統一教会(統一協会)に転じた)
・1964年(34歳)
統一教会の初代会長就任。》
68年には国際勝共連合の初代会長に就任したという。事実であれば、宗教界の裏側は複雑に絡んでいるということ。あくまでも事実であればの話だが。