「ヌードじゃないので安心して」と言い、女性は撮影に応じるそうだが、大丈夫か?
2020年2月のこと。カフェで書き物をしていたら隣りの男女の会話が耳に入り、ついペンを止めてしまった。男性が向かいに座っている女性に、
「ヌードとかそういうんじゃありませんから、安心してください」
と言うのが聞こえたからだ。
ヌードじゃないとは、2人は何について話しているのか。ボソボソしゃべってるので聞き取りにくいが、どうやら男性はカメラマンで、女性を撮影するための面接をしているようだ。女性は丸顔の美人だ。抜けるように色が白い。横顔には気品が漂っている。
一方、男性はどこにでもいるようなお兄さん。イケメンではない。年齢は30代半ばくらいだろうか。どうも気になるので、スマホで撮影した。写真を見てもらえば分かるが、彼らは隣りのテーブルをくっつけて、テーブルを2台使っている。これは他人がそばに近づけないようにするためだと考えていい。男性は自分たちの会話を聞かれたくないのだろう。
やがて男性が言った。
「ではお互いを理解し合えたということで、LINEで本名を交換してもいいですか?」
女性が「ええ」と答え、2人はスマホを操作する。
ほほう。2人は匿名で会い、会話しているわけだ。
男性が言った。
「いつもそうですが、本名を知るときが一番ドキドキしますねえ」
えっ、これって撮影前の面接というより、ナンパじゃないの?
さらに男性が言った。
「へえ~。〇子さんとおっしゃるんですかぁ。きれいな名前ですねぇ」
そのあと2人はまたボソボソと話し込み、男性が、
「そうかぁ、今夜帰るんですかぁ。本当は食事しながらお互いを知るのが一番なんですけどね。お酒を飲んだら、僕はなかなかすごいですよ」
女性が黙っていると挑発するように、
「すごいと言ったら、すごいんです」
筆者の先入観かもしれないが、あなたを口説き落とせますよと説得しているようにも聞こえる。
「この近くにアトリエがありましてね。時間があれば、そこを見学してもらってもよかったんですが……」
そんなことを言いながら、男性はジャケットを着て立ち上がり、
「じゃ、あらためて連絡します」
と言って店を出て行った。あっけない幕切れだ。
「私以外にもモデルさんがいるそうです」
10分ほどして女性が立ち上がり、カバンを持とうとした。
「あの……」
筆者は声をかけた。
「先ほどの方はカメラマンですか?」
「ええ」
彼女は穏やかに答えた。
「ヌードは撮らないとか話してましたね」
「はい。あの方がネットで女性モデルを募集していたので、連絡を取ってみたんです。プロのモデルではない普通の女性を自然体で撮りたいとのことでした」
「あの人はプロのカメラマン?」
「ええ。無名だけど、写真への情熱は熱いと言ってました。今回の作品をステップにしたいそうです」
「写真集を出すとか?」
「いえ。ネットで発表すると言ってました」
「もう打ち合わせは終わったんですか?」
「ええ。私はこれから深夜バスで帰ります」
東北地方の有名都市に帰るという。
「撮影に応じるんですか?」
「そのつもりです。オリンピックが終わってから撮影しようということでした。私以外にもモデルさんがいるそうです」
筆者は「もしかしたら、疑ったほうがいいかもしれませんよ」と言いたかったが、あまり他人の問題に立ち入るのも失礼かなと思い、それ以上何も言わなかった。
「気をつけてお帰りください」
「ありがとうございます」
そう言って彼女は店を出て行った。
自称カメラマンがネットを使って美女とコンタクトを取り、LINEで名前を交換するときにドキドキし、本当は酒を飲みたい、飲んだら僕はすごいですよと言い寄る。彼女が東北の街に帰ると聞いて、すごすごと退散。どんなアトリエなのかは知らないが、彼女をどこかに連れて行きたいように聞こえる。「ナ・ン・パ」の3文字が脳裏に浮かんだ。
なんだかなぁ~。
筆者は若いころ、雑誌のグラビア撮影を担当していたが、プロのカメラマンがこんな打ち合わせをする光景を見たことはない。くどいようだが、なんだかなぁ~と言いたくなってしまう。
その後、日本は未曾有のコロナ時代に入り、20年の東京五輪は延期になった。あの美女はどうなったのかと今でも思い出す。男性はまだ面接活動を続けているのだろうか。はい、ご苦労さまです。